ウィリアム・モリス─文筆家、書物の芸術家 [2](2021年7月27日)

 前回は「理想の書物」作りに情熱を傾けた晩年のウィリアム・モリスについて書きましたが、グラフィックデザインやジャーナリズムの観点からもう少し書いてみたいと思います。
 6月26日のコラム でも触れたように、19世紀のヨーロッパでは出版ジャーナリズムが発展し、イラストレーションやグラフィックデザインが成長した時代であったと言えます。当時は活字による活版印刷でしたが、ご存知のようにヨーロッパにおける活版印刷の普及は15世紀のヨハネス・グーテンベルクが端緒です。そして、新聞や雑誌のような印刷による定期刊行物自体は、ヨーロッパでは17-18世紀から徐々に発行されはじめていたようです。
 19世紀の印刷文化について20世紀と違う特徴と言えるのは、ひとつには映像文化も放送文化もなかった時代(映画・ラジオ・テレビは20世紀の発明です)なので、大量かつ一斉に情報伝達するメディアとしては印刷文化の独擅場であったこと、もうひとつには、視覚情報(画像情報)の形式としてはイラストレーション(挿絵)が主役であったことです。写真撮影の技術そのものは1830年代に実用化されましたが、写真を紙面に印刷する写真製版の技術は19世紀の後半から終わりにかけて開発されたため、19世紀の新聞や雑誌に掲載する画像(イメージ)はもっぱら挿絵によるものでした。こうした挿絵は版画の技術(木版やリトグラフ)で印刷されましたが、宣伝・広報のための挿絵によるポスターも盛んになっていきます。また、7月15日のコラム でアーツ・アンド・クラフツ運動の中心人物として紹介したウォルター・クレインは、19世紀ヴィクトリア朝イギリスを代表する挿絵画家の一人とされています。
 こうした時代背景のもとにヨーロッパでは近代文芸、とりわけ広い大衆読者層を狙った小説というジャンルが発達するわけですが、ベストセラーが生み出される一方で、ウィリアム・モリスが手作りともいえる限定部数の「美しい本」にこだわりつづけたことは前回も書いた通りです。モリスがケルムスコット・プレスで作り出した書物を見ると、イラストレーションはむしろ「従」であり、書体(今風に言うとフォント)や行間・余白などのレイアウト、そしてそれを彩る装飾に神経を使っていたことがうかがえます。
 モリスは当初建築事務所に就職して建築家を目指したようですが、装飾美術に方向を転じました。そしてモリスが手掛けた装飾デザインの多くは、壁紙やテキスタイルなど、どちらかというと「平面」的な表現が主流です。こうした創作活動から晩年の「理想の書物」作りへの軌跡を眺めてみると、本人の意識がどうであったかはともかく、モリスはグラフィックデザインの優れた才を持っていたと言えるのではないでしょうか。モリスがもう少し長生きをして、もっと出版活動を続けていたらどんな書物を世に送り出していたのか、興味深いところです。
 その後、グラフィックデザインおよびジャーナリズムの発達は、写真の普及に伴い、20世紀にはいると大きく変っていきます。中世の職人たちの手仕事に理想を見たモリスにとって、その変化が好ましいものであったかどうかはわかりません。そして21世紀の今、印刷技術自体はアナログからデジタルに変わり、新聞や雑誌という紙のメディアそのものも衰退期と言わざるを得ませんが、このような19世紀の技術革新があったからこその現代である、ということは確かなのです。


安田篤生 (学芸課長)