かつて、英国本土であるGreat Britain島の大半は、豊かな森に覆われていたそうです。しかし、永年にわたる燃料や建築用材、船舶資材などの利用で森林は激減してしまいました。しかし、羊の牧草地確保のために森の復元を行わなかった結果、現在のような英国の景観ができあがりました。またその副産物として、羊飼いの芝生の遊びとしてゴルフやポロ、フットボールなどが盛んになったとか。そして、18世紀に薪の代わりに石炭を燃やし始めたことで大きなエネルギーが得られ、蒸気機関による産業革命に成功したというのが近代史の定説です。
18世紀末、英国では毛織物だけでなく、綿製品も紡織機械で大量生産するようになり、19世紀になると植民地インドの綿布産業を壊滅させ、綿花の供給地としてアメリカ南部の大規模農園が盛んになって、その労働力確保のためにアフリカから黒人奴隷が大量に導入されました。そして過酷な労働がもとで南北戦争(1861−1865)を引き起こし、現代まで続く米国の人種問題の遠因になりました。極東の島国育ちの私たち日本人は、明治の文明開化と産業革命の経済効果のみを評価し勝ちですが、それが引き起こした地球規模(global)の負の変動には鈍感です。
産業革命のお家元の英国では、19世紀半ばに早くも近代産業への反動が起きました。美しい郊外を騒音と煤煙と悪臭をまき散らしながら爆走する蒸気機関車への反発はたいへんに強く、また大都市の劣悪な工場労働による人間性の疎外が早くから社会問題となり、社会主義運動が盛んになりました。
文化財保護の面では、1880年代からウィリアム・モリスらを中心に始まった手仕事に立ち帰ろうとしたのがアーツ・アンド・クラフツ運動であり、1895年から展開された歴史的建築物の保護を目的として設立されたボランティア団体ナショナル・トラスト(National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty)でした。ナショナル・トラスト運動は、3名の民間人によって始められました。オクタヴィア・ヒル女史はロンドンの工場労働者の住環境改善運動を始め、ロバート・ハンター弁護士は環境保護の訴訟に取り組み、ハードウィック・ローンズリー司祭は、英国北西部の風光明媚な湖水地方の鉄道建設反対運動を展開しました。また中世後期から続いた資産階級Gentry層が、産業革命に乗り遅れて没落し、彼らが各地に所有していた広大な邸宅や領地を維持できなくなったことが、英国特有の景観を保護しようとするこの社会運動の推進力になりました。なお、日本版ナショナル・トラストである財団法人観光資源保護財団が設立されたのは、英国に遅れること73年後の1968年のことでした。
閉幕まで残り一ヶ月となった「ウィリアム・モリス展」も、こうした歴史的背景を踏まえた上でご覧になると、また違った印象をお持ちになるのではないでしょうか?
図版:Knole House(撮影;小島久典)
ケント州にある16世紀に建てられたお城のようなGentryの邸宅(Country House)。ナショナル・トラストが維持・管理している。
2021年8月3日
館長 籔内佐斗司