前回の東京オリンピックが開催された1964年、私は小学校の5年生でした。祝日となった10月10日の開会式の当日、友人たちと学校で遊んでいたら、担任の先生から「一生に一度観られるかどうかの開会式やから、早く家に帰りなさい」と促されて、「そんなもんかな・・」と思いながら、しぶしぶ下校した記憶があります。今思えば、きっと先生も見たかったのでしょうね。私は、当時からあまりスポーツ観戦に興味がありませんでしたが、それでも小さなテレビを囲んで家族で観た開会式には心が躍りました。
とりわけ今井光也氏(1922-2014)作曲によるファンファーレはかっこいいなあと感激しました。また小関裕而氏(1909-1989)の「東京オリンピックマーチ」に乗って整然と行われた入場行進にもワクワクしました。どちらも永遠に残る名曲でしょう。
そして亀倉雄策氏(1915-1977)が担当したシンボル・マークやポスターは、子ども心も感動させる藝術作品でした。最近、米国のデザイン界の大御所で「I♡NY」のロゴで知られるMilton Glaser氏(1929-)が、1924年のパリ大会から2022年の北京大会までの歴代のオリンピック・ロゴマークを集めて、100点満点で採点していましたが、1964年の東京大会のロゴマークを92点という圧倒的な高得点で「最高の五輪ロゴ」として第一位に選んでいることからもわかります。
図版:東京五輪1964シンボルマークとポスター
今回、最初の佐野研二郎氏によるロゴマーク選考のごたごたはみっともないかぎりでした。まず、彼の作品が発表されたとき、亀倉氏の作品と比べると、あきらかに見劣りすると感じました。しかし何よりもお粗末だったのは、盗作問題などを指摘された後の決定権者である選考委員会の対処の仕方でした。紆余曲折の結果、仕切り直して野老朝雄(ところあさお)氏の日本らしく美しい意匠である「組一松紋」に決まったことは喜ばしいことでしたが、最初からこれが選ばれていたらどんなにすっきりしたことでしょう。
さて、運営費の巨大化、トップの失言や失態の連続、そしてコロナ騒動や度を超した誹謗中傷の嵐の中、大きな混乱もなくやり遂げた組織委員会や関係者は賞賛に値すると思います。しかし、あまり熱心な視聴者でなかった私にとやかくいう資格はありませんが、国立競技場という新旧の建造物から、開会式や閉会式の企画や演し物を垣間見たかぎり、日本の文化力と創造力は、1964年からの57年間で幼稚化し弱体化したという印象は否めません。宝塚歌劇団の『君が代』斉唱はさすがでしたが、その他に披露された演技や舞踏、大道芸などでは、肉体の表現者として世界最高峰のアスリートたちが、途中で飽きて寝転がったり帰ってしまった気持ちはよくわかります。
そして1964年当時のブランデージ会長が、昭和天皇に敬意を込めて日本語で開会宣言をお願いした姿に比べ、今回のバッハ会長の今上陛下に対する礼を失した態度は異常でした。オリンピックの商業化がいわれて久しいですが、今回の大会では、米国の放映権の都合からか、爽やかな10月ではなく、選手たちを無視した猛暑の8月開催になったことも禍根を残しました。
素人の私見ではありますが、これからは開催地を世界の大都市が持ち回るのではなく、産業基盤の乏しいギリシア経済振興を目的に、オリンピック発祥の地アテネに開催地を一元化してはどうでしょうね。そして企画運営や催しなどを各国で担当し、大会終了後にその能力や創造性を採点して、金銀銅のメダルを授与するのも面白いのでは? CO2削減やSDGsが賑やかな昨今、資源の節約や開催経費の削減は大いに歓迎されると思います。いやその前に、利権に狂奔する国際オリンピック委員会の抜本的改革の方が先かもしれません。
2021年8月11日
館長 籔内佐斗司