19世紀の生み出したもの─写真(2021年8月13日)

 18世紀に始まる産業革命は産業だけでなく社会や文化も含めた大きな変化をもたらしたわけで、一口に言うと近代化ということになります。19世紀後半に活躍したウィリアム・モリスは近代デザインの開拓者として位置づけられていますが、19世紀には他にも今日の私たちの生活や文化に大きな影響を与えたものが産声を上げており、その最たるものが写真ではないでしょうか。
 21世紀のデジタル化時代に生きる私たちにとって、写真は極めて身近で日常的なメディアになりました。現在の身近さや手軽さはデジタル技術の恩恵による部分も多いのですが、それはさておき、写真の誕生は私たちの視覚による経験に大きな変化をもたらしたのでした。
 デジタル方式であれアナログ方式であれ、カメラはレンズという光学機器で撮影する点は昔から変わりません。このレンズ(光学)の歴史は近代以前のはるか昔から発達してきました。例えば14世紀のイタリア絵画には眼鏡をかけた人物を描いた作例が残っており、また、望遠鏡や顕微鏡は17世紀頃には使われ始めたといいます。「遠すぎ」たり「小さすぎ」たりして「見えない」もの「見える」ようにする、言い換えると「未知」を「知」に変えるレンズはそれ自体が人類の大きな発明です。しかし、レンズを通して眼で見る映像はその場限りのものです。それを「そのまま」「固定」したり「定着」したりして「保存」し、場合によっては「複製」する方法、すなわち写真の技術は私たちの生活を大きく変えるものだったわけです。
 もう5年ほど前になりますが、海外でも評価の高い映画作家・黒沢清監督の映画『ダゲレオタイプの女』をご覧になった方はおられるでしょうか。ここに出てくるダゲレオタイプが実用化されたものとしては世界最古の写真技術で、1830年代にフランスで発表されたものでした。写真を意味するフォトグラフィという言葉は後から作られたもので、ダゲレオタイプは発明者のダゲールが自分の名を冠して考案したものです。
 しかし19世紀の写真はまだまだ子供の時代と言いますか、成長(技術改良)が続く時代でした。現在の視点から見るとダゲレオタイプにはいくつかの欠点がありました。ひとつは複製(コピー)ができない「一枚だけ」の絵画のようなものだったことです。もうひとつは、映画『ダゲレオタイプの女』のメインビジュアルが示唆するように、撮影に長い時間が必要だったことです。したがって人物写真を撮るときは動かないように(ぶれた画像になってしまわないように)身体を固定する拘束具のような支えが必要だった程なのです。言い換えると現在の写真のように「瞬間」を切り取ることができなかったわけです。東京オリンピックのさまざまな報道写真が伝えるようなスポーツの「瞬間」を見慣れてしまった私たちの視覚からすると隔世の感がありますが、19世紀前半の人々にとってはこれでも驚天動地の大発明だったのでした。
 ここでもう一度、ウィリアム・モリスの肖像写真を見てみましょう。

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ウィリアム・モリス肖像写真 1886年頃 Photo ⓒBrain Trust Inc.

 これは1880年代に撮影されたものですが、この時にはかなり「瞬間」的に撮影できるようになっており、ポーズを決めたモリスの姿にも少しですがくつろぎを感じられます。また、この頃には写真を原版からプリント(複製)することもできるようになっていました。しかし、この写真のように、19世紀にはまだ「色彩」の再現はできませんでした。インターネットの時代になって、19世紀のいわゆる「古写真」があちこちでアップされるようになり鮮やかなカラーのものも散見されますが、それらはもともとモノクローム(単色)の写真なので要注意です。ネットに上っているものには最新のデジタル技術で着色したものもありますし、19世紀にはプリントしたモノクロ写真に手で彩色することも行われていました。世界初の実用的なカラー写真は20世紀初頭、フランスのリュミエール兄弟によって発明され、オートクロームの名で商品化されました。このリュミエール兄弟は「映画(動画)の父」という功績も持っているのですが、映画(動画)というシステムは、写真(静止画)が瞬間を切り取ることができるようになったからこそ可能になったとも言えるでしょう。

安田篤生 (学芸課長)