第17回 美術館の社会的役割

 私が8月22日に寄稿した『8月15日に思う』に対し、ある県民の方から「籔内館長の上記投稿について、非常に注意を要する話題であり、学術的にもまだ定説となっていない物を、あたかも真実の様に断言するのは公立美術館の公式ページ上に掲載することがふさわしいのか疑問です。」「美術館の活動と直接的に関係のない、館長個人の思想、主張を、米中韓の作品を展示することもある美術館の公式ページ(=奈良県の公式ページ)に載せ、要らぬ炎上でも引き起こしてしまったら、美術館の今後を左右することにもなりかねません。…」という趣旨の投稿を、県庁のウエブサイトに頂戴しました。とても真摯なご意見と、当館へのご心配を頂いたことに対し、心より感謝申し上げるともに、私なりのご回答を差し上げました。
 以下はそれをもとに、「美術館の社会的役割」と題して書き改めたものです。

 私は、コロナ禍の4月に奉職後、まずネット上に「館長の部屋」「学芸員の部屋」を開設し、事務的な情報告知だけでなく、職員の生の声を発信することで、生きている美術館を知ってもらおうと努めてまいりました。また途中休館を余儀なくされた『高島野十郎展』では、動画での発信にも力を入れました。いずれの取り組みも多くのみなさまからとても好意的に受け取めて頂き、大変ありがたいことだと感じています。
 さて今回の寄稿『8月15日に思う』につきましては、日本人にとって決して忘れてはならないこの日について、子供の頃から疑問に思っていたこと、永く考えてきたことも踏まえて熟考してエッセイにまとめました。引用した関係者のセリフは、米国の公文書や公式フィルム、アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画などで公開されているものですので、「学術的にもまだ定説となっていない物」というご指摘は当たらないのではと考えます。
 また現代の日本の行政や日本人の文化と行動原理に、占領軍によるWGIP(戦争犯罪広報計画)の効果が70年を経ても少なからず影響していることは、多くの歴史学者や社会行動学者、心理学者の認めるところです。そして靖国神社の合祀問題については、近隣諸国が敏感に反応するにも関わらず、なぜ日本の為政者が敢えて参拝するのか、若い人たちに日本人の死生観やこころについて考えるきっかけとなるよう、問題提起いたしました。
 ニュルンベルク裁判の公式記録フィルムには、裁判の冒頭に首席検事・Robert Jackson氏が「彼ら(戦争犯罪人)の肉体は滅びても その(邪悪な)魂は永遠に生き続ける」と宣言しています。また判決後に絞首刑となった戦犯たちの遺体が、キリスト教的な埋葬をされずに焼却され、川に流されている場面が映されています。このことは、この裁判が、日本人の伝統的な死生観とは違う、キリスト教文化の思想に基づいていることを物語っています。このことだけでも、文筆家はいくつもの文芸作品を生み出せるでしょうし、芸術家には創作表現の源泉となり、そして美術館には展覧会の企画の種となるでしょう。
 現代社会の問題や矛盾に敏感に反応し、如実に表現しようというのがContemporary Art・現代美術です。そして美術館は、評価の定まった名品を鑑賞するだけの場ではなく、現代をどのように見て問題を提起し、社会をどのように変えていくかの実験場としての性格も与えられています。2019年の愛知トリエンナーレ『表現の不自由展』(愛知藝術文化センター)のような政治的(?)な主張をテーマにすることもその仕事に入ってきます。私は、同展のコンセプトや一部の出品作品に決して好感を抱きませんが、このような展示会が公立美術館で開催され、活発な議論の場となることは許容します。考える場を提供することが、美術館の使命の一つですからです。
 『春画』の寄稿では、近世の日本人が愛してきた民衆絵画が、海外で高度な文化として評価されているにも関わらず、いまだに日本の国公立美術館で展示が見送られていることも考えなければならないと書きました。
 1868年の明治維新、1945年の敗戦と1960年代から続いた経済発展至上主義、1990年のバブル崩壊後のIT革命の失敗などの、わが国の近現代の節目における矛盾の積み重なりが、現代日本の諸問題の根源だと思っています。そしてこれらを気づかせ、克服する力を与えてくれるのが、実はArtの役割です。私は、投稿者が私の寄稿についておっしゃっている「美術館の活動と直接的に関係のない、館長個人の思想、主張」を載せるべきではないと考えるのではなく、それを発信することも館長としての義務だと考えて頂けることを願っています。
 ですが、県立美術館の公式ページの性格上、ことば使いや表現に不快感や疑念を持たれたことは留意しなければなりません。したがって今後は、表現に気をつけるように努めたいと思います。
 しかし、こうした形で県立美術館を愛して下さる県民の方と真剣な対話が出来ることは、とてもありがたいことだと思っています。かさねて感謝申し上げます。
 これからも、奈良県立美術館を応援してくださることを、心より願っています。

2021年8月29日
館長 籔内佐斗司

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