ウィリアム・モリスの19世紀から現代へ(2021年8月26日)

 ウィリアム・モリスは近代デザインの父のように位置づけられているものの、本人はむしろ自分が生きていた産業革命期の工業製品に批判的で、職人の手仕事が尊重された中世に理想を求めました。合成染料が普及していた19世紀に、古来の天然染料によるテキスタイルをもう一度実践するあたりにもその志向がうかがえます。
 その一方、19世紀は新しい技術による芸術も試みられる時代でもありました。その典型が、前回と前々回で触れた写真というメディアです。フランスのアカデミーでダゲレオタイプ(最初の実用的な写真技術)が発表された時、「これで絵画は終わる」と発言した画家もいたそうですが、現実には(21世紀の今も)絵画は終わっていません。むしろ(西洋の)絵画はルネサンス以来のリアリズム的表現のくびきから解き放たれてモダンアートへの展開をとげるわけです。それはさておき、写真の誕生によって、(絵画の)肖像画制作の注文を受けて生活していたような画家が写真家へ転業した例は実際にあったようです。それと同時に、写真という「技術」によって「芸術」的表現を試みる動きも19世紀から行われました。写真がアートのメディアとしてすっかり定着している今の感覚からすると不思議かもしれません。しかし19世紀には「写真は芸術か否か」という議論が真剣に行われ、19世紀末ごろには「ピクトアリアズム(絵画主義的写真)」という動きもありました。ただ、この時代の「写真による芸術」は、簡単に言うと絵画的な表現を踏襲したり(時には手で写真に修正を加えたり)、絵画的な造形をなぞるような感じのものでした。それが20世紀になると、写真というメディアの特性による「写真ならでは」の表現が実践されていくようになります。
 このような「技術」と「芸術」の交錯は写真に限ったことではなく、モリスが精力を傾けたデザインや工芸の分野でもそうでした。モリスが愛した中世では商業や手工業のギルド(同業組合)が作られていたことを踏まえて、モリスに影響を受けた美術家や建築家が1880年代に近代版のギルドを作り、アーツ・アンド・クラフツ運動という形になったことは以前のコラムでも紹介しました。19世紀末から20世紀にかけて、アーツ・アンド・クラフツ運動に続きヨーロッパ各地ではアール・ヌーヴォー、ウィーン分離派、ユーゲント・シュティールなど、美術・デザイン・工芸、さらには建築にまたがるようなモダンな造形運動が活発になっていきます。こうした世紀末の造形運動にはモリスの思想と実践が直接あるいは間接に影響を与えていると言えますが、20世紀になると工業が一層進み、機械生産が高度化していくにつれ、1920年代のアメリカで「インダストリアルデザイン(工業デザイン)」という言葉(概念)が発達していきます。こうして「技術」と「芸術」のクロスオーバー、「機能」と「美」の合一は20世紀を通して発展していくことになるわけです。これを象徴するプロダクツの典型的なものの一つが「自動車」ではないでしょうか。自動車は乗り物として実用的な工業生産品であると同時にデザインの塊でもあります。
 当館の「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」展はまもなく終了となりますが、モリスが生きた19世紀という時代は(もちろん「産業革命」の時代だったわけですが)、私たちの生きる現代に直接つながるさまざまな予兆をはらんだ時代だったと言えるでしょう。

 

安田篤生 (学芸課長)