第23回 非常時と藝術

 新型コロナ肺炎の感染者数が、8月にピークを迎えたあと、9月に入ってからの急激な減少はきつねにつままれたようです。でも、今回の騒動で、マスコミを賑わした数多の「専門家」による悲観的な予言が、コロナ禍の混乱に拍車を掛けたことは間違いありません。国民に希望を語るべき政府の首班より、「専門家」がテレビやSNSなどでヒステリックに世論を誘導したことはとても危険な状況だったと思います。
masked_sento_kun このコロナ騒ぎは、不思議なことだらけでした。マスクの絶大な効果が喧伝されましたが、コンピュータによるくしゃみの飛散シミュレーションを見て、効果のほどは太平洋戦争時の防空頭巾程度かなとも感じました。また、統計の基本分母であるべきPCR検査の数を示さないで、感染者数という分子の数値の変動ばかりで大騒ぎしている状況に私はずっと懐疑的でしたし、感染者数のグラフの曲線が、旅行やイベントなどの人流を反映しているように見えませんでした。政府のコロナ対応の策定に、社会学者や統計学者、心理学者、歴史家などからの発言がなかったことも大きな問題だったと思います。
 ニューヨーク在住の知人からは「半月後には、日本も大変なことになるよ!」と散々脅かされましたが、幸いにもそうはなりませんでした。10月16日現在の100万人あたりの一週間のコロナ肺炎による死亡者数は、ロシア46.2人、米国34.8人、英国12.4人、ドイツ5.0人、韓国1.7人、世界平均6.1人だったのが、日本では1.2人。またコロナ肺炎関連の疾患が原因の死亡累計は18.000人を超えています。もちろん近親者の逝去は誰しも辛いものですが、同じ期間に世界で亡くなった方は500万人に迫ることと比べると、圧倒的に少数です。この数字からも、政府のコロナ対策はマスコミや野党が非難するような失敗だったとはいえず、結果論でいえば菅前総理は、コロナ対策やオリパラ対応でも充分に健闘したと私は評価しています。
 かつては、優れた知性や感性を持って、社会にいち早く危険を知らせる言論人やマスコミ関係者を「警世の木鐸(ぼくたく、危険を知らせる木製の打楽器)」と呼びました。しかし、多くのマスコミとそこに登場したいわゆる専門家は、今回の騒動ですっかりメッキが矧げ落ちてしまいました。
 西欧では昔から、優れた藝術家は危険をいち早く察知して囀る「籠のなかのカナリア」に喩えられ、それが藝術を社会が必要とする理由でした。それゆえに、社会が困難を克服する時には大きな期待が寄せられます。東日本大震災の際にも感じ、コロナ禍でも感じたことですが、大きな災厄の真っ最中は、われわれ藝術文化に携わる者は非常な無力感に苛まれます。しかし、起こった現象だけでは歴史として伝承されず、ことばや形象という藝術表現を通して初めて歴史化され文化となります。すなわちわれわれ藝術家は、現象を絵画、造形、歌舞音曲、詩歌、文芸、そして現代なら映像作品などにして表現する使命があります。もちろん、美術館・博物館も、さまざまな情報を蒐め、熟考して編集し、現代を伝承すべきです。
 緊急事態宣言が解除になったとたん、展覧会や音楽会、演劇などのお知らせが一斉に届き始めました。これを、ただ喜ぶばかりではなく、コロナ禍で荒んでしまった人々のこころを癒やし、健全な未来を築くための活力となることが、藝術・文化に携わる者の使命であることをあらためて肝に銘じたいと思ます。

2021年10月26日
館長 籔内佐斗司