家の門前に、注連縄と対になった「蘇民将来子孫之家門」と書かれた護符を目にすることがあります。その蘇民将来とは以下のような説話です。遙かむかしのこと、頭に牛の角が生えた容貌魁偉な牛頭天王(ごずてんのう)が妻探しの旅の途中に立ち寄った村で、裕福な巨旦将来に宿を請うたところ、邪険に断られました。しかし、巨旦の弟の蘇民将来が貧しいながらもこころを込めてもてなしたことに感謝して、天王は彼に「茅の輪を身に着けておけば、お前の一家はすべての災厄から逃れられる」と言い残して立ち去りました。やがて天王は、無事妻を娶って帰る途中に件の村を再び訪れ、茅の輪を着けた蘇民将来の家族だけを残して、巨旦将来一族を根絶やしにしてしまったという物騒なお話です。牛頭天王は、神仏習合でスサノヲとも解釈され、京都の八坂祇園社のご祭神として知られます。彼の無慈悲で暴虐な振る舞いは、流行り病・疫病を象徴しているともいわれ、病魔退散を祈願する祇園祭の起源にもなっています。ちなみに牛頭天王には八人の王子がおり、東京の八王子市の地名の由来でもあります。
この説話の原典は、密教の「武塔天神王」や『備後風土記』に出てくる武闘神である「タケタフカミ・武勝神」とか、また朝鮮半島の土俗宗教「巫堂(ムーダン)」との関連が説かれたりしましたが、いまひとつはっきりしていません。ところが先日、奈良県立図書情報館館長の千田稔先生の講演を聴いていて、はたと気がつきました。講演は、中国山東省の八つの神の一柱・兵主神(ひょうずしん)についてのお話でした。別名を蚩尤(しゆう)という牛頭人身の荒ぶる神で、石や金属を食べると信じられたことから、この神を鉱山開発や冶金に関わった一族を擬えたのではないかとも考えられます。この山東省の八神を芸能化したものが、後世の中国王朝の宮廷儀式の余興である百戯や散楽として催行され、そのなかの角觝(かくてい、角力、相撲)という格闘技は、蚩尤を表す牛の仮面をかぶって行われたということで、まさにこの兵主神こそが蘇民将来説話の原典ではないかと思い至りました。
そして山東八神を連想させる八幡神を奉ずる秦氏は、鉱山の探索や貴金属の精錬を得意とし、養蚕や紡績のほか、散楽などの芸能に関わる職能民を束ねた一族でしたから、牛頭天王の説話は、秦氏とともに広まったのかも知れません。現代でも、雅楽や能楽に携わる人には秦氏の後裔を名乗る人たちがいます。また、かつての黄金郷の岩手県黒石寺などで牛頭天王を祀る「蘇民祭」が盛大に行われることも合点が行きます。
天平時代から銅の採掘場として知られていた福岡の香春(かわら)町は、古代朝鮮語の「カグポル(金の村)」に由来するといわれ、また記紀神話の火の神「カグツチ」は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を指し、もしかしたら、良質な陶土の採掘で知られた橿原の天香具山(あめのかぐやま)も、どこかで秦氏と関係していたのでしょうか。ひょっとして、黄金色に輝くかぐや姫もカグポル?こういう言葉の連想ゲームは、学術的には禁忌であるとわかっていても、はまります。
中国の秦王朝に起源を持つと称した秦氏は、山背国の太秦に本拠地を構え、長岡京や平安京などの山背遷都に大きな影響を与えたと考えられます。そして八幡信仰とともに、歌舞音曲の芸能民や職能民を束ねて、日本の歴史に闇然たる影響を与え続けました。また、荒くれ者の牛頭天王は、日本のオニの幻影として定着したのかも知れません。
日本だけのものだと思っているものも、思わぬ広がりを持っていることを知ると、歴史探偵団はどんどんおもしろくなります。
神宮社 蘇民将来子孫之家門護符
『根元角觝大全』(菱川春童 1791)より「角觝図」
夫れ角觝は もろこしりっこくのときはしまるを かほにうしのめんをかむりてせうふをあらそふ 云々
2021年11月24日
館長 籔内佐斗司