日本の美術館史を少しだけ振り返りましょう(2021年11月25日)

 現在、国が設置した独立行政法人国立文化財機構には4つの国立博物館が属しています。そのうち今世紀になって開館した九州国立博物館を除き、東京・京都・奈良の国立博物館はいずれも明治時代の19世紀に設立され、長い歴史を持っています(だいぶ間隔があきましたが前回のコラムで少し触れましたね)。では日本の「美術館」の歴史はどうなっているのでしょうか。これも国の独立行政法人である「国立美術館」は現在、東京・大阪・京都・金沢に7つの施設を持っていますが、一番古い東京国立近代美術館でも設立は第二次世界大戦後の1952年です。そうすると日本の美術館はすべて戦後に歴史が始まったのかというと、そうでもありません。
 「公立」の美術館で最も古いものは、1926年に開館した東京都美術館(当初の名称は「東京府美術館」)と、1933年に開館した京都市美術館(当初の名称は「大礼記念京都美術館」)、それに1936年開館の大阪市立美術館といったところでしょう。しかし日本で最初の公立美術館である東京都美術館は「Art Museum = コレクションを収集・展示する美術館」というよりも「Gallery = 展示場」として出発し、当初はコレクション活動にも消極的で、学芸員にあたる専門職員もいなかったと言われています。1960年代になって新館建設構想と同時に学芸員を配置し、コレクションや美術関連文献の収集にも本腰を入れるようになりましたが、1995年に東京都現代美術館が木場公園に開館すると、コレクションや図書室はそちらに移管され、ふたたびギャラリーに特化した形に戻って現在に至ります。
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東京府美術館(1926年):東京都美術館公式ウェブサイトから


 その一方、わが国における公立美術館としての一つの「型」を作った先駆的な美術館は神奈川県立近代美術館ではないでしょうか。現在、葉山にある同館は今世紀に作られた「新館」にあたり、当初は鎌倉・鶴岡八幡宮の境内(本当に境内です)にありました。東京国立近代美術館より一足早い1951年のオープンで「近代美術」の名を冠した公立美術館の第一号です。こちらも当初はコレクションがなく企画展開催だけのギャラリー的な施設だったものの、徐々に作品収集活動も充実させ、今では一万点をはるかに超えるそうです。とりわけ坂倉準三が設計した建物は、終戦後数年しか経たない厳しい時代であったにもかかわらず、日本近代建築を代表する作例として高い評価を受け、「カマキン(鎌倉の近代美術館)」の愛称もありました。葉山館ができた後も鎌倉館として親しまれていましたが、しかし、諸般の事情で2016年1月に閉鎖されてしまいました。建物自体取り壊す話もあったようですが、やはり日本建築史の傑作ということで保存が決まり、今では鎌倉の歴史や文化を紹介する「鎌倉文華館鶴岡ミュージアム」として再利用されています。
 日本の公立美術館は、当館(1973年開館)もふくめて1970~90年代に設立されたものが多いのが実情で、特に80年代後半からの約10年間は「美術館建設ラッシュ」とも言われたほどです。それでは最初の「私立」美術館はというと、東京のホテルオークラにある大倉集古館(オープンは1917年)ではないでしょうか。
 少し話が変わりますが、コロナ禍による臨時休館・入館者数減少による財政難から、ともに私立美術館である倉敷の大原美術館が昨年、名古屋の徳川美術館が今年になってそれぞれクラウドファンディングを募ったことはご存じでしょうか。大原美術館が1930年設立、徳川美術館は1935年設立と大変長い歴史を持ち、コレクションも素晴らしいものを多数所蔵しています。ファンも多く由緒ある両館さえもコロナ禍で経営に打撃をこうむってしまいました。私立だけでなく国公立の美術館も深刻な影響を受けているのが実情で、現在ミュージアムマネジメントは大きな曲がり角を迎えています(必ずしも今回のパンデミックだけが原因ではありませんが)。それについてはまた別の機会に触れることにいたしましょう。

安田篤生 (学芸課長)