美術館にも法律があります(2021年12月1日)

 前回、日本における美術館の始まりについて簡単に触れた中で、最初の公立美術館として1926年に開館した東京都美術館は、設立からかなりの期間「Art Museum = コレクションを収集・展示する美術館」というよりも「Gallery = 展示場」という性格だったと書きました。数年後(1933年)にオープンした公立美術館の第2号、京都市美術館も美術家団体等のためのギャラリーという性格が強く、大規模リニューアルして通称・京都市京セラ美術館になった今もその性格は受け継いでいます。ただ、東京都美術館と違うのは、設立当初の「経営方針」に「美術館陳列品は購入並に寄附・寄託による」と明記され、最初からミュージアムとしての役割を明確に意図していたことが特徴です。とはいえ、現在のような学芸員がいなかったので、美術家等によって構成された美術館評議員会が作品収集の選定などを行っていたとのことです。
 こう書くと、日本の美術館は学芸員が不在の状態で始まったのか、それでは学芸員というのはいつから存在するようになったのか、と疑問に思われるかもしれません。簡単に言ってしまうと、学芸員という国家資格も含め、現在につながる博物館(美術館)の法的な制度設計は、国公私立の博物館・美術館の実例が誕生してきた後から「追っかけ」で作られたようなものなのです。実を言えば、今年(2021年)は「博物館法」が制定されてちょうど70年にあたる年なのです。
 第二次世界大戦後、日本の社会制度は大きく変わりましたが、そのひとつに教育改革があったことはみなさんご存じのとおりで、その基本を定めた教育基本法は1947年に施行されました。その中に学校教育とともに社会教育(この言葉自体は大正期からあったようですが)が記述され、別途1949年に社会教育法が定められました。そしてこの社会教育法の文中には、社会教育のための施設として図書館や博物館が明記されているのです。それを受けて、個別に図書館や博物館を法制度的に定義する図書館法(1950年)や博物館法(1951年)が作られた、という次第です。今はインターネット上で簡単に法律の条文を読むことができますので、博物館法の全文もすぐに見つけられますから、なにかの折に読んでみていただければと思います。
 博物館とは何ぞやということが、この博物館法の冒頭第二条で定義されていると同時に、われわれのような学芸員については、第四条において「博物館に、専門的職員として学芸員を置く」「学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる」と書かれています。さらに1955年、文部省令として出された博物館法施行規則の中で、それでは学芸員という資格はいかにして取れるのか、が定められました。学芸員資格は一発勝負の国家試験(これがけっこう難度高し)で取ることもできますが、大半は私のように大学に設置された博物館学課程(学芸員課程と呼ぶ大学も)を履修して資格を取っています。
 以来、博物館法も博物館法施行規則も、細部においては何度か改定が行われてきましたが、根幹の部分は変わっていません。しかし施行から70年も経過すると、変化した社会状況と乖離した部分が出てくるのも致し方ありません。またそれだけでなく、博物館法には当初から疑問符がつくような箇所もないわけではありませんでした。条文を読んでいただくとわかるのですが、たとえば、この法律ではどういうわけか「国立博物館」を対象外にしているのです。
 そういったわけで現在(というよりも以前から)、博物館法を現状に合うように大きく改正しようという動きがあり、文化庁に設けられた文化審議会の博物館部会で検討が進められている次第です。もしかすると来年あたり法案が国会に出るところまで行くかもしれません。今後の動きはまだまだ定かではありませんが、博物館の法制度上の課題や問題点について手近な参考文献としては、日本博物館協会(名前の通り全国の博物館が参加する一種の業界団体ですね)の月刊誌『博物館館研究』が、2021年6月号で「これからの博物館制度を考える」を特集しており、各分野の博物館関係者(歴史・科学・動物水族など)から意見や考察が寄せられています。この号には、かくいう私も「美術館学芸員から見る博物館法改正の動き」と題した論説を一本執筆しております(誌面構成的に美術館全体を代表する寄稿のような感じに見えますが、あくまで公立私立あわせて35年間美術館の現場にいた者の私見ということで)。書店には出ていませんが図書館などで閲覧できると思いますので、機会があれば手に取っていただければ幸いです。

安田篤生 (学芸課長)