第28回 日本の仮面芸能−序説

 世界にはたくさんの仮面芸能がありますが、わが国で現代に伝えられ演じられているものは、その由緒の古さや種類の豊富さ、舞台芸術としての完成度において、世界に比類のないものといえます。それは古代から、祖霊の崇拝と、天地長久、子孫繁栄、五穀豊穣、悪疫退散などへの祈願と信仰にしっかりと結びついてきたために、単なる遊興や演劇に堕することなく、大切に真摯に演じられてきた結果だといえるでしょう。そして、仮面に表された顔は、まぎれもなく日本人の肖像なのです。
 とくに岩手県や青森県の縄文時代の遺跡からは、土で造った仮面が多く見つかります。おそらく土偶のような葬送や霊魂にかかわるものではないかと思われます。この時代の土面のなかで、注目すべきは天理大学参考館所蔵の「鼻曲がり」といわれる仮面です。青森近辺で多く出土するこの仮面が何を表し、その用途はわかっていませんが、日本の仮面芸能の原点を考える上で大変重要です。そして、その鼻のかたちが、平安時代の舞楽で用いられる「胡徳楽(ことくらく)」の仮面とそっくりなのが、とても興味をひきます。
 一方、弥生時代から古墳時代の仮面としては、数年前に桜井市の巻向遺跡(まきむくいせき)から、木製の鍬を転用したと思われる仮面状のものが出土しました。農具であったとしたら豊作祈願に関わる「祭礼」に用いたと考えられます。
 6世紀になると、仏教とともに、さまざまな音楽や芸能も伝来しました。その代表が「伎楽(ぎがく)・呉楽(くれうたのまい)」です。もともとは仏教とは関係なかった音楽や芸能が、平城京の仏教寺院の祭礼で催されるようになり、仏教が日本土着の神概念や豊作祈願と渾然一体化していった経緯が想像されます。それが原点となって、仮面芸能の多くが、豊作を祈願する「予祝」や先祖の祭礼に関係し、外来の伎楽や舞楽とともに、田楽、猿楽(能楽)、狂言、神楽などへと発展していったのでしょう。
 平城京から平安京に遷都後、伎楽が南都寺院との繋がりが強すぎたためか、はたまた滑稽で卑俗な表現が大宮人に嫌われたためか、芸能としては急速に衰退しました。しかしその大ぶりな仮面を修験道者ら寺外に持ち出して、修験の祭礼などで用いられるようになりました。天狗は、中国の原義では流れ星(彗星)のことですが、わが国では伎楽行列の先頭を勤めた治道(ちどう)が猿田彦やスサノオと習合し、山伏たちの行列で天狗と呼ばれるようになり、伎楽で火食鳥を表した迦楼羅(ガルーダ)面が天狗の従者として烏天狗となり、南洋の黒人を表した崑崙(こんろん)面が追儺会などで鬼面として転用されたのではないかと私は思っています。こうしたお面は、やがて修験者を通じて里神楽や神社の祭礼などに承け嗣がれて、民俗芸能、伝統芸能として民衆に愛され現代に至っています。このように、舞楽や能とは別に、庶民の仮面芸能として日本人の歴史とともに歩んできたものなのです。
 では次回は、飛鳥時代に伝わった「伎楽」について、詳しくお話ししたいと思います。
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図版(左から):土面鼻曲がり(天理参考館)、舞楽面「胡徳楽」(法隆寺)、巻向遺跡出土木製仮面


2022年1月12日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司