画家で歴史家で収集家─奈良県美の吉川コレクション(2022年1月26日)

morofusa 前回に続いて当館コレクションにまつわるお話をすることにて、今回は奈良県立美術館設立のきっかけとなった吉川観方氏(よしかわかんぽう 本名 賢次郎 1894-1979)のコレクションについてです。
 画像は吉川コレクションの中から、菱川師房作「見返り美人図」(江戸時代 17世紀末頃)です。近世の絵画や染織などの美術工芸品と資料の約2,000点からなる吉川コレクションは、江戸から明治にかけての服飾史・風俗史をたどることができるのが特色です。これを築き上げた吉川観方氏は、自らも画家である一方、風俗史研究家として著作をいくつも上梓したユニークな人物でした。当館では2019年秋に特別展『吉川観方-日本文化へのまなざし』を開催し、吉川観方という人物についてかなりくわしく紹介しましたので、ご覧になった方には重複する話になる点はご容赦ください。
 京都市内の商家に生まれた吉川氏は、はじめ画家を志して京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に進んで日本画を学びました。在学中に歴史家江馬務(後に京都女子大学教授)が主宰していた「風俗研究会」の活動にも参加して、後年の風俗史研究家としての素地はその頃からあったようです。同時に1917年、文展(文部省美術展覧会、日展の前身)に入選を果たして画家としてデビューしました。その一方、松竹で舞台の衣装や時代考証も手掛けるようになりました。後には衣笠貞之助監督の「大坂夏の陣」(1926)など、映画にも衣装や考証で参加します。このように若い時代から日本の文化・風俗史に対する興味と探求心を示し続け、絵画制作よりも研究や収集に打ち込んでいったようです。
 昭和期になると「故実研究会」を立ち上げて風俗史研究に本腰を入れるようになりました。ここでの活動の一つに「扮装写生会」があり、吉川コレクションの衣装をモデルに着せて同時代の画家たちが写生をするというものでした。「故実研究会」で交流した画家たちは京都画壇(上村松園ら)だけでなく伊藤深水のような東京の画家もおり、交友関係の幅広さがうかがえます。1936年には京都市東山区に故実研究会のための風俗博物館仮陳列場を設置し、研究と収集成果の発表も行いました。また、社寺の祭礼の復興に尽力するなど研究をもとに社会活動も行いました。そうした社寺との関わりの一つとして、第二次世界大戦後の1949年には奈良の春日大社から絵所預(えどころあずかり)の任を拝命しました。そして20年に一度の事業「式年造替(しきねんぞうたい)」にて本殿を飾る極彩色壁画の描き直しを担当しています。
 このような多彩な活動を認められ、吉川氏は1967年自治省(現・総務省)から地方自治功労者として表彰され、翌1968年には京都市から第1回文化功労賞を授与されました。1964年、吉川氏はコレクションの一部を京都府に寄贈しました(現在、京都府京都文化博物館が管理)。そして1972年には奈良県にも一部が寄贈され、翌年、奈良県立美術館がオープンすることになったのです。また、九州の福岡市博物館にもまとまった形で吉川コレクションが収蔵されています。生涯を通じて集められたコレクションは全体で実に30,000点にも及び、当館所蔵はその一部というわけです。吉川氏は当館がスタートしてから数年後にこの世を去りますが、その貴重なコレクションはこうして複数のパブリックコレクションに今も受け継がれています。2月5日(土)から開催する企画展『奈良県立美術館所蔵名品展 奈良県美から始める展覧会遊覧』で、その一部をぜひご鑑賞ください。

安田篤生 (学芸課長)