化学者で経営者で収集家─奈良県美の大橋コレクション(2022年2月2日)

 前回・前々回の続きになりますが、当館に寄贈された特色ある個人コレクションについてもうひとつ、大橋嘉一氏(1896-1978)が収集した戦後美術のコレクションに触れることにしましょう。ただ、昨年このコラムの第11回(2021年5月26日)でも一度言及していますし、2020年春の特別展『熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力』で特集したところですので、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。
 滋賀県大津市出身の大橋嘉一氏は、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)色染科を卒業し、昭和初期に大橋焼付漆工業所(現・大橋化学工業株式会社、大阪府)を創立、実業家・化学者として関西の財界で活躍した人物です。そして本業のかたわら、1950年代後半から1970年代初めにかけて日本の現代美術を積極的に収集し、そのコレクションはおよそ2,000点になります。没後、遺族のご好意によりコレクションは当館・国立国際美術館・京都工芸繊維大学美術工芸資料館に分割して寄贈され、当館では500点余りを収蔵しています。また、大橋氏は作品を収集するだけではなく、1953年に東京藝術大学へ寄附をして「大橋賞」を設置して画家を目指す学生の支援も行うなど、コレクターとしてもパトロンとしても日本の美術を支えた人物でした。
 近年はわが国でも現代美術の個人コレクターが注目される機会も増えてきたように思いますし、このコラムの第31回(2021年12月8日)でも紹介したように、優れたプライベートコレクションを一般公開することをテーマにした美術館も登場しました。こうして見ると、大橋コレクションは、日本現代美術への眼力と愛情で築かれたプライベートコレクションの、まさに先駆的存在と言えるでしょう。
 第二次世界大戦後の美術評論をリードした一人である針生一郎氏(1925-2010)は、著書『戦後美術盛衰史』(1979)の中で、現代美術のコレクターとしての大橋氏を好意的に紹介していますので、引用しておきます。「日本にも戦前の大富豪型とはちがった見識と信念をもったコレクターが、少数ながら成熟しつつあった。(中略)画商のすすめにも自分の判断を対置してゆずらぬ反面、投資としての蒐集をきびしく批判し、無償の愛を強調する彼(=引用者註、大橋氏のこと)の姿に、美術市場を支える良心の存在をかいまみた。(中略)日本にはめずらしく自分の好みと分をはっきりとらえているコレクターとして、わたしには忘れられない」。
 当館の大橋コレクションの中で最も作品点数が多い作家は白髪一雄 (1924-2008)で、120点にものぼります。吉原治良(1905-72)をリーダーに結成された関西の前衛美術集団「具体美術協会」(1954-72)は国際的に認められ、その意義は現在も高い評価を受けていますが、白髪一雄はその中心的存在の一人です。一貫してダイナミックなアクションによる抽象絵画を制作し続けましたが、1970年代に比叡山延暦寺で得度し、密教的な世界観にも共鳴しました。公益財団法人尼崎市文化振興財団の白髪一雄記念室には大橋氏から白髪氏に宛てた60-70年代の書簡がいくつか保存されており、それを読むと現代美術(特に抽象絵画)に対する大橋氏の愛情が記されていると同時に、パトロンとして白髪氏をサポートしていたこともうかがえて興味深いものがあります。
 なお、今年10月から、この「具体美術協会」の軌跡と意義を再検証する大規模な企画展が、大阪中之島美術館と国立国際美術館の隣り合う2館で合同開催される予定で、当館からも少し出品協力する予定になっています。
 そて、2月5日(土)からの企画展『奈良県立美術館所蔵名品展 奈良県美から始める展覧会遊覧』では、この大橋コレクションから戦後抽象絵画の作例として白髪一雄のほかに江見絹子、須田剋太、難波田龍起などの作品を紹介いたします。もうひとつ大橋コレクションの特徴として、1960年代に活発だった日本画の革新をめざす動きの一端も見ることができ、今回は岩崎巴人や野村耕といった作家の作品を展示いたしますので、ご覧いただければと思います。
shiraga
白髪一雄《十界の内、天・人間界》1974年 大橋コレクション

安田篤生 (学芸課長)