東京国立近代美術館の戦争画のことなど(2022年4月7日)

 現在、ロシアのウクライナ侵攻によって現実に戦争が行われており、私たちは連日その報道に触れているわけですが、その内容だけでなく、戦争とメディアあるいは戦争と情報における時代的変化の激しさに驚かされます。
 私などの年齢ですと、戦争報道といえば湾岸戦争での多国籍軍のイラク空爆(1991)のそれが衝撃でした。衛星用アンテナを携行したアメリカCNN放送のクルーが現地から速報で伝えた攻撃のテレビニュースは、戦争報道とその社会的影響を一変させるものだったと思います。しかし、当時はインターネットが普及する前でしたので、今のウクライナ戦争でのネットを介した官民入り乱れての「情報戦」は、そこからさらに進んだ劇的変化と言えます。スマートフォンとSNSで瞬時に世界へ拡散する静止画や動画の情報は事実なのかフェイクなのか、あるいは衛星軌道から捉えた戦地の高精細画像は天の声ならぬ天の目撃者として私たちに現実を突きつけているのか、情報のあまりの速度と量に戸惑いを禁じえません。
 さかのぼって第二次世界大戦の頃を考えるとメディアは(今の眼からすれば)限られたものでした。テレビの本格的普及は欧米でも戦後のことでしたので、当時はラジオ、新聞・雑誌、映画(映画館で上映するフィルム撮りのニュースやプロパガンダ映画)などが主たるメディアでした。携帯電話やSNSのように個人が使える情報端末とネットワークがない時代は、権力者にとってメディアを押さえて協力させ、活用することは絶大な効果があったと言えます。今でも揶揄するニュアンスの慣用句として「大本営発表」という言葉を使うときがあると思いますが、国境を越えた海外が戦地となっている状況で、国民がどれほど戦争について知り、認識していたのか、限界があったのも無理からぬことです。そのような時代において、小説家の中には報道班員として徴用されて戦記を執筆した例が多数ありますが、美術もまた戦争を伝えるメディア、いわばプロパガンダの手段として活用されたのでした。
 東京国立近代美術館に行かれたことのある方は多いでしょうが、同館が保管している153点の「戦争記録画」をご存じでしょうか。インターネットの「独立行政法人国立美術館所蔵作品総合目録検索システム」で「検索キーワード」に「戦争記録画」と入力するとその一覧を見ることができ、そのうちの多数は画像も見ることができます。また、同館の常設展示室でも随時展示されるので実作も鑑賞できる機会があります。
 この戦争記録画、あるいは単に戦争画と呼ばれる一群の作品は、日中戦争・太平洋戦争の時期(1938~45)に旧陸軍・海軍が洋画家・日本画家に委嘱して制作されたもので、小磯良平、藤田嗣治、宮本三郎、向井潤吉ら多くの画家が従軍画家として戦地に赴き取材・制作しました。実際に戦場の最前線で見たものというよりも、資料や想像に依拠した作品もかなりあるようです。これらの作品は戦時中、東京都美術館において『聖戦美術展』や『大東亜戦争美術展』などの名称でたびたび行われた展覧会で発表され、記録画といいつつ軍の宣伝、戦意高揚のツールとなった点は否めません。そのため終戦後はGHQが接収してアメリカへ運ばれました(接収を免れた作品も現存しています)。1970年になってようやく返還合意がなされ、アメリカ合衆国所蔵のまま無期限貸与という形で東京国立近代美術館に移されました。プロパガンダの材料になっていたということで返還後も長期間何かとタブー視され、公開の機会は容易に得られませんでしたが、近年はオープンになってきました。特に東京国立近代美術館が2015年に開催した『特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。』は、藤田が手がけた戦争画14点を初めて一挙公開するものとして話題になりました。こうして実際に戦争画を鑑賞できる機会が出てくると、軍に協力して描かれたとはいえ、戦争画イコール戦意高揚画と単純に言い切れない複雑な内容であることも見えてきて、分析や討議の場へオープンにすることの意義があると言えます。
 また、ちょうど今、東京都現代美術館において、現代アーティストによる日本の戦争画をテーマとした面白い作品の展示が行われています(6月19日まで)。それは『Tokyo Contemporary Art Award 2020-2022 受賞記念展』」の中の藤井光による作品です。これは、1946年に東京都美術館で開かれた「占領軍関係者だけ」が入場できる戦争画の展覧会を疑似的に再構成しつつ、GHQが接収した当時を物語るアメリカ公文書の閲覧情報を駆使して、敗戦国側の戦争画と戦勝国側によるその戦後処理を再検証した興味深い展示となっています。ただし、戦争画の実物は一点も含まれておらず、廃材などでサイズだけ戦争画1点1点の実寸大にあわせて作った仮のオブジェが、キャプション(作家名・作品名)とともにずらりと並んでおり、それだけに一層「戦争画って何だろう」と見るものに考えさせる展示になっています。上にも書いたように、かなりの作品画像は国立美術館オンラインの所蔵品データベースで見られますし、折に触れて東京国立近代美術館で展示もされていますので、鑑賞を補完することもできるでしょう。
 こんな文章を書いている間もウクライナの状況は刻々変化し、絶え間なく情報の断片がインターネット上を飛び交っています。戦闘状態の長期化を予測する記事も散見されて暗澹たる気持ちにさせられますが、少しでも早く停戦が実現することを祈りつつ、うかつに情報へ飛びつかないようにしたいと思います。
 
安田篤生 (副館長・学芸課長)