アーティスト・イン・レジデンスについて(2022年4月24日)

 先月、奈良県に新しい文化施設『なら歴史芸術文化村』がオープンしました。すでに訪れた方もおられるかもしれません。ここは博物館・美術館とは少し性格の異なる施設なのですが、その活動の一つに「国内外から招いたアーティストとの交流」が挙げられています。そして現在「なら歴史芸術文化村滞在アーティスト誘致交流事業」として滞在アーティストを募集中で(5月末まで)、これは一般的には「アーティスト・イン・レジデンス」と呼ばれているアートプログラムにあたります。ただ「一般的」とは言っても、アーティスト・イン・レジデンスはやはり業界用語と呼ぶべきか、人口に膾炙した言葉ではありませんので注釈が必要でしょう。
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画像:なら歴史芸術文化村の全景

 わが国の美術関係者の間でアーティスト・イン・レジデンス(Artist in Residence=以下「AIR」と略します)という言葉が普及し始めて軽く30年にはなると思います。欧米では20世紀後半からこのプログラムの実践が定着してきたように思いますが、日本で広まったのは1990年代になってからでしょう。簡単に言うとAIRとは国内外からアーティストを招いて一定期間滞在してもらい制作活動に取り組んでもらうこと(要するにアーティストの住み込み)です。招く側=主催者は滞在中のアーティストの生活および制作活動を支援すると同時に、アーティストと地域住民との交流機会を設けます。特に明文化された定義や決まりごとがあるわけではないのですが、講演やトーク、オープンアトリエ(制作現場訪問)、ワークショップ(体験参加型イベント)などがその主なメニューです。また、アーティストが制作のための取材や調査、制作過程で地域の人々と交流することも期待されています。そして多くの場合、滞在期間の最後または終了後に展覧会(滞在中に制作した作品などの発表)を主催者側が行うところまでがセットになっています。
 美術館というのは基本的に美術作品という「モノ」を軸にして活動しています(ただし現代美術=現役アーティストに特化した現代美術館は性格が違ってきます)。それに対してAIRは美術作品を創る「ヒト」を中心に展開するプログラムと言えるでしょう。『なら歴史芸術文化村』のアーティスト募集は今のところ国内在住作家に限られていますが、ゆくゆくは海外からも招いて様々な国や地域のアーティストに奈良を体験してほしいと思います。なお、奈良でAIRが行われるのは『なら歴史芸術文化村』が初めてではなく、明日香村では10年前から『飛鳥アートヴィレッジ』というAIRを展開しており(国内の比較的若いアーティストを対象)、今後も継続されることを期待します。
 日本でのAIRの実践は1990年代から活発になってきたように記憶していますが、規模の大小や専用施設の有無を問わず、今では全国各地で様々な(美術以外の芸術ジャンルも含めて)AIR活動が行われています。関西の一例をあげると、京都市内の小学校校舎を再利用した京都芸術センター(2000年設立)があり、郊外型・田園型AIRの飛鳥アートヴィレッジに対して都市型AIRと言えます。こうしたAIR活動については「日本全国のアーティスト・イン・レジデンス総合サイト」と銘打った便利な情報サイト『AIR_J』もありますので紹介しておきます。このサイトは当初(独法)国際交流基金が立ち上げたものですが、数年前から京都芸術センターへサイト運営を移管したとのことです。
 このサイトで見るとわかるように、日本では自治体やNPOなどがAIRの担い手になっている例が主流です。しかし、中には民間企業がイニシアチブをとってフィランソロピーとして行う例もないわけではありません。かくいう私自身、実は東京時代に15年ほどAIRに関わっていました。それがメルセデス・ベンツ日本株式会社(社名は2022年現在のもの)による文化・芸術支援活動「アート・スコープ」で、日本のAIRとしては異色のものでした。メルセデス・ベンツ本体はドイツの自動車企業ですから、ドイツ(ベルリン)と日本(東京)の間で相互にアーティストを招聘・派遣して双方向のAIRを実施するというのが趣旨でした。メルセデス・ベンツ日本はAIRのノウハウやスキルがありませんので専ら財政面のバックアップを担当し、AIR実務はNPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]が引き受け、AIRの成果発表である展覧会の企画・運営を原美術館(私立)が行うという組織形態で、私は原美術館サイドでこのプログラムの企画展を15年間に7本手掛けた次第です。毎回、ドイツと日本のアーティストを1~2名ずつ紹介するもので、日本人作家には名和晃平、加藤泉、小泉明郎、泉太郎といったユニークなアーティストが参加していました。原美術館は諸般の事情により2021年1月で閉館してしまいましたので、この形式でのAIRプログラムは終止符を打つことになりました。
 言うまでもないことですが、ここ2年間は新型コロナウイルスによるパンデミックのため、国や地域を問わずAIRの実施は困難を極めました(特に国境を越えてアーティストを招くタイプのAIRは)。しかし最近になって入国制限の緩和なども進んできましたので、これから再びAIRのような国際的な芸術文化の人的交流が活性化してくれることを期待いたします。
 
安田篤生 (副館長・学芸課長)