人は、マスク(仮面)を着けると、別の人格に変身することができます。能楽師にとって、面(おもて)をかけることは神聖な行為です。また、プロの着ぐるみの演者が、マスクを被って小さな目の穴から外界を見た瞬間、キャラクターが乗り移ると話してくれたことがあります。Jim Carrey主演の映画『The Mask』(1994)は、うだつの上がらない銀行員が、川で拾った不気味な木のマスクを着けたとたん、魔神のような超能力を獲得して悪人相手に大活躍するというはちゃめちゃコメディでした。ちょうど進化しつつあったコンピュータグラフィックスと実写をふんだんに合成して、大ヒット。最後には、一目惚れした彼女の愛を獲得し、「マスクなんかには頼らないよ」と仮面を川に捨ててしまういかにもアメリカ的なハッピーエンドでした。キリスト教圏では、神に与えられた人格から変容することへの反発から、マスクにあまりよいイメージを持てないのかもしれません。
一方、アジア人は欧米人に比べて顔を覆うことに抵抗感が少ないといわれます。イスラム女性の「ヒジャブ」はよく話題になりますが、インドに残るゾロアスター教の神官は神聖な火を取り扱うときには白装束に白いマスクをします。殺生を嫌うジャイナ教徒は、虫を吸い込まないように普段からマスクをして暮らしています。日本でも、仏教の僧侶が仏餉や献茶を供えるときに白い布で口を覆います。文化財や刀剣を扱う時にも、息や唾液が掛からないように、布や紙で口を覆います。そして、東アジアや東南アジア、インドには豊かな仮面芸能の文化が今も息づいています。
さて、14世紀に欧州を席巻したペスト(黒死病)の流行では、数千万人の死者が出たとされますが、その際に医療従事者が感染予防のために被った不気味な鳥のようなマスクは、今回のコロナ禍で開発された立体マスクの形状ととてもよく似ています。ペスト菌は、新型コロナウィルスとは比べものにならないくらいの被害を人類に与えました。カトリックの絶対的権威を大いに揺るがせ、イタリアでは人間性復活のルネッサンス、ドイツでは宗教改革に繋がったといわれます。また第一次世界大戦のスペイン風邪では、君主制の時代が終わり、資本主義と社会主義の時代になりました。はたして今回の新型コロナウィルスは、現代社会にどのような変化をもたらすのでしょうか。
コロナ以前に、プラスチックゴミの削減を至上命題として、「レジ袋の有料化」が推し進められました。しかし、その後のコロナ騒動ではマスク着用がさかんに推奨され、殆どの日本人が、洗濯可能な布マスクから不織布マスクに切り替えました。その結果、一日数千万枚のマスク(世界的には数億枚)がゴミとして排出されていることを、地球環境の観点からだれも問題にしないのは不可解です。不織布マスクの素材は、ポリプロピレン、ポリエステル、ポリエチレンなどで、レジ袋、ポリ袋と同じです。飲食店のテイクアウト食品も、みんなポリ袋に入れています。レジ袋を目の敵にしていた元担当大臣氏が、こうした現状に発言しないのでは、風見鶏の誹りを受けてもやむを得ないでしょう。マスクだけでなくその包装材料や、マスクケース、使い捨てのビニール手袋や消毒薬のポリ容器、飲食店のアクリル板はじめ、コロナ禍で天文学的な量のプラスチックゴミと医療廃棄物が生み出されています。医療現場の逼迫はニュースになりますが、清掃事業の現場の声が聞こえてこないのはほんとうに不思議です。脱炭素運動(Carbon neutral)とコロナ対策を、わかりやすく秤にかけて説明してもらいたいものです。
日本政府や多くの自治体は、新規感染者の増減に一喜一憂し、相変わらずマスク着用に縋っています。しかし、物心ついてからずっとマスクが日常化している3〜4歳の子どもに、今後深刻な影響が出ないか本当に心配です。家にいるときもマスクを絶対に取らない子や、親がマスクを外すと逃げ出す子など、深刻な影響が報告されています。そもそも幼児期は、さまざまな病原体に感染して免疫力を獲得する大切な時です。その時期にマスクを着けていると、本来形成されるべき免疫力をつける機会を逃してしまいます。「小さなこどもにはマスクは不要。かえって有害」と、心ある医療関係者や教育関係者は声を大にすべきでしょう。
さて奈良県立美術館では、来年の秋に開館50周年記念『仮面芸能の系譜』展の開催を予定しています。そのころには、たくさんの仮面(マスク)を見ながら、「去年はみんなマスクをしていたねえ」と笑い合えることを心から願っています。
2022年5月17日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司