第41回 解体新書

 『解体新書』とは、申し上げるまでもなく、1774年にオランダ語の書籍から漢文に翻訳し出版されたわが国最初の解剖学の解説および図鑑です。著者は、杉田玄白、前野良沢らですが、翻訳を始めた当初、ふたりともオランダ語はあまり堪能ではなかったので、初版は暗号解読のように手探りで、誤訳だらけだったそうです。その辺の事情を、前野良沢は『蘭学事始』で赤裸々に披瀝しています。その努力のおかげで、日蘭辞書『和蘭訳筌』が完成し、江戸時代の西洋医学の基礎が確立され、蘭学が飛躍的に発展しました。
 『解体新書』は、ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムスの医学書 『Anatomische Tabellen』のオランダ語版『ターヘルアナトミア』を底本に杉田玄白らが数冊の洋書の解剖学図譜を参考にし、その図解篇『解軆圖』は、江戸時代の油画の先駆者である秋田藩士・小田野直武(1750〜1780)が担当しました。『解体新書』は、ただの翻訳本ではなく、時代を開こうとする気概溢れる研究者たちの金字塔です。
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蘭画家・小田野直武による解体図篇表紙

 私は、2004年から2021年にかけて東京藝術大学大学院文化財保存学教授として、古い仏像の材料・技法と、修復の研究に携わりました。ふだんは、長ったらしい肩書きの代わりに、分かりやすく「仏像のお医者さんです」と自己紹介したものです。そして退任前に17年間の講座の研究業績をまとめたのが『古典彫刻技法大全』(監修・共著、求龍堂)です。私は当初、この本の書名を『仏像解体新書』にしようと思っていましたが、出版社の編集部と相談して、書名ではなく腰巻きにその名を残すことにしました。
 では『古典彫刻技法大全』から、私が東京藝大文化財保存学在任中の学生やスタッフたちが行った仏像研究のほんの触りをご紹介しましょう。表面から見ただけでは分からない仏像内部の秘密を解明する『仏像解体新書』です。
 まずはじめは、興福寺国宝館に安置されている『天燈鬼立像』です。この有名な像は、なんと制作途中に腰のあたりで横にまっぷたつに切り離して、そこに三角材を嵌め込んで上半身を大きく右に傾け、鬼の激しい動勢を創り出していたことを、益田芳樹くんが解明しました。(『興福寺 国宝館 天灯鬼立像の構造と技法』2008)
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 次は、円成寺の『大日如来坐像』です。本像は、上半身を裸の状態で造形し、その上に薄く彫刻した条帛を貼り付けていることを藤曲隆哉くんが実証しました。加えて、体幹材を、木取りの段階で4度後ろに傾けることによって、大らかな若々しい大日如来の造形を造っていることも分かりました。(『円成寺大日如来坐像の構造と技法』2012)
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 次は東大寺中性院の『弥勒菩薩立像』です。鎌倉時代中期のたいへん精緻な菩薩立像ですが、この研究を行った小島久典くんの詳細な研究と再現作業によって、実に複雑な改変を加えていることが分かりました。(『東大寺中性院 菩薩立像の構造と技法の研究』2018)
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 最後は、茨城県の雨引山楽法寺の『金剛力士立像』の修復です。本像は、2mを超えるみごとなカヤ材一木割り矧ぎ造の金剛力士像ですが、興福寺国宝館の金剛力士立像の系譜を引くことがわかり、また明治初めに焼失してしまった京都 東寺南大門の金剛力士像も、残された画像から同じ系統であったと考えられます。鎌倉仏師の造形力の見事さに驚かされました。
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 以上の詳細は、ぜひ『古典彫刻技法大全』をご覧下さい。また文化財保存学の業績のほんの一部ですが、東大寺ミュージアムや天理市のなら歴史芸術文化村ギャラリーにも展示されています。

 さて奈良県立美術館の夏の企画展では、7月16日(土)から8月28日(日)まで、館蔵コレクション展『「美術」ってナニ?美術・解体新書』を開催致します。展覧会パンフレットには、「(館蔵の選りすぐりを)素材や技法、主題といった基本的な事柄から、制作背景や意図、意味や目的など、作品を理解する上で役に立つような知識や情報を分かりやすく解説し、その魅力と特徴を紹介」と、担当学芸員が書いています。ちょっとわかりにくい表現ですが、ただいま担当者が、展示について知恵を絞っているところで、館長としてはお手並み拝見というところです。猛暑の中ですが、みなさまのご来場をこころよりお待ちしています。


2022年7月1日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司