第43回 アメリカ合衆国の光と影

 1953年生まれの私は、アメリカのテレビ番組にどっぷり浸かった子ども時代を過ごしました。広い芝生の庭を持った大邸宅に暮らす豊かで善良な「白人一家」のドラマや、おしゃれでかっこいい白人の音楽や映画に夢中でした。そして戦争ドラマで、邪悪なドイツ兵(時として日本兵も)を懲らしめる勇敢な正義の米兵に憧れ、第三次世界大戦を引き起こすのは、ソ連や中華人民共和国だと信じていました。しかし中学生になったころから、ベトナムでの米軍の苦戦の様子や残虐行為が明るみに出て、また米国内の人種差別や血みどろのロサンゼルス暴動、ケネディー兄弟やキング牧師の暗殺、そしてウォーターゲート事件など、米国の暗部がつぎつぎとさらけ出されたことで、私の米国観が揺らぎ始めました。
 1915年に作られたアメリカ映画の最初の長編作品として知られる『國民の創成』では、南北戦争後の合衆国再建を時代背景に、白人良家の暮らしぶりや解放奴隷が引き起こす犯罪などを、WASP(White, Angro-Saxon, Protestant)
の視点で描いています。興味深いのは、白人少女殺害の容疑をかけられた黒人を、顔を黒く塗った白人俳優が演じていることです。映画では、終始、黒人を無知で野蛮で暴力的な人物として描き、彼らを成敗するKKK(北方人種至上主義結社)を完全な正義の味方として描いています。
 リンカーンが発議した奴隷解放の象徴である「憲法修正第13条」は、「法の下での自由と平等」を謳っています。それは、基本的人権としての自由ではなく、「法を犯した者はそれに含めない」という抜け穴がありました。そして各州が独自に人種を選別する州法を制定すれば、それに基づく差別や分離は合憲になってしまいます。その端的な例が1876年から1964年まで米国南部諸州で効力を発揮した「ジムクロウ法」、即ち「黒人の一般公共施設の利用を禁止、制限する法律」です。ここでいう黒人とは、「アフリカ系黒人」だけでなく、「一滴規定・One Drop Rule(有色人種の血が混合しているものはすべて黒人と見做す)」に基づき、アメリカ先住民やわれわれアジア人など、すべての有色人種が含まれており、ナチスの民族浄化思想と変わりません。
 私が1980年代末にニューヨークで個展をしたとき、画廊のスタッフに褐色の肌にほとんど白人のような顔立ちの女性がいました。ほかのスタッフに「彼女はどこの国の人?」と訊いたら、「もちろんアメリカ人。彼女のお母さんが、黒人と白人の混血」と答えくれました。「黒人と白人の結婚が認められたのはいつ?」と訊いたら、とても答えにくそうに「南部では、両親が結婚していない混血の黒人がとても多いの」と教えてくれました。その時はよく意味がわからなかったのですが、あとで考えれば白人男性による黒人女性への日常的な暴行の結果だったと知りました。
 米国は、公的な国民皆保険制度のない唯一の先進国と言われます。コロナ騒動の初期に、米国でコロナ肺炎の死亡者が激増して驚きましたが、その多くが医療保健に未加入で、高熱が出ても病院から診療や入院を拒絶された人たちでした。また殆どの救急車が民営事業であるために、搬送される前に規定料金を払えるかどうかを確認されるとのこと。民主党のオバマ大統領が「医療保険制度改革法(オバマケア)」を成立させました。しかし、いまだに貧困層の無保険者が2500〜3000万人に登るなど、皆保険とはほど遠い現状です。米国では、民間の医療保険の高額な掛け金が払える富裕層は世界最高の手篤い医療が受けられる一方、保健未加入の貧困層は病院で門前払いされるという、国民健康保険に慣れた日本人には想像もできない現実があります。
 もちろんアメリカ合衆国には見習うべき点はたくさんあります。世界を牽引する国家としての矜持と実行力。移民の国として世界中から集まってきた知性と文化の集積とそのたくみな活用。そして最高水準の魅力的な美術や音楽、演劇、映像作品、そしてスポーツや娯楽などの各分野で、時代の寵児を生み出すシステム。しかし、そのすべてが資本主義の論理に基づいて富裕層に利益がもたらされる構造です。
 米国の人口は世界の5%ですが、囚人の数では世界の収監者の20%といわれます。その異常な数字の背景には、民営矯正施設という刑務所産業の存在があります。安価な労働力として囚人労働者が必要とされ、ささいな犯罪でも黒人を収監してしまう現代の奴隷制度ともいわれます。こうした資本主義の総本山・米国の現実と矛盾を知ると、「日本は、けっこういい国」に見えるのは私だけではないと思います。

2022年7月23日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司