第44回 奇想の画家

image 現在、奈良県立美術館で開催中の夏の館蔵コレクション展『美術・解体新書』のポスターに使われている奇妙な浮世絵にお気づきになりましたか?これは、幕末から明治初めに活躍した浮世絵師・歌川芳藤(1828〜1887)が描いた『からの子がよりかたまって人になる』 (1848年頃)。一見すると日本髪を結った女性の横顔のようですが、よく見ると9人の唐子(中国風のこども)がからだを寄せあっているという「だまし絵」「寄せ絵」です。彼はこのほかに、猫を巧みに使った「寄せ絵」もたくさん描いています。
 元禄時代を頂点とする江戸幕府のバブル景気も、18世紀末頃から飢饉の頻発や制度疲労が目立ち初め、松平定信の寛政の改革(1787〜1793)や水野忠邦の天保の改革(1841~1843)などで質素倹約が厳しくいわれて、浮世絵も華美な役者絵や人情本・艶本、遊郭などの風俗を描いたものが出版できなくなりました。そうした時代の趨勢に、浮世絵の版元は、広重や北斎などに美しい風景画や紀行本を描かせてベストセラーを生みました。そして、先ほどの「寄せ絵」や遊びに使える「玩具絵」に活路を見いだします。芳藤の師匠にあたる歌川国芳(1797〜1861)が描いた本展にも出品されている『みかけハこハゐがとんだいゝ人だ』(1847〜1852年頃)は、そうした世相をみごとに逆手に取って、取り締まるお役人を嘲笑ったような諧謔的表現で浮世絵師の気骨を見せました。
 こうした奇妙な絵を描いた国芳、芳藤らを「奇想の画家」と言いますが、彼らより300年も前のヨーロッパにも、よく似た発想と表現のもとに奇妙な人物画を描いたジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo、1526〜1593)という画家がいました。イタリアルネッサンス晩期のミラノの生まれで、マニエリスム(芸術的な象徴化、歪曲化)の第一人者として人気を博したひとで、静物画のモチーフである果物や動植物などを組み合わせた精緻な描写で珍奇な肖像画を残しました。その頃には、ルネッサンス盛期の美しい均整を求める様式ではなく、いびつで醜い形状や重厚さを意味する「バロック表現」が流行しました。絵画、彫刻・工芸から建築、音楽までのすべてにおいて過剰なまでの装飾性が好まれました。彼の晩年の傑作「ウェルトゥヌスとしての皇帝ルドルフ2世」(1590年頃)は、いささかグロテスクな絵ですが、注文主のルドルフ2世は大いに気に入ったと言われています。余談ですが、同じ時期の日本でも古田織部らが好んだ「へうげもの」と呼ばれた重く歪んだ茶器が生まれたのと符合するのは興味をそそります。
 アルチンボルドは、絵画以外にも水利工事の設計や鍵盤楽器のハープシコードを発明するなど、才人として活躍しました。その絵があまりにも奇妙であることから、彼の精神面での異常を指摘する美術史家もいましたが、万能の天才を求めたルネッサンス期特有の傾向と考える方が妥当だと思います。作品は、ウィーンの美術史美術館、ルーブル美術館、ウフィツィ美術館などに収蔵されて、現在もたいへん人気があります。
「寄せ絵」風の絵は、芳国以前にも描かれていますが、今のところアルチンボルドと浮世絵との関連を裏付ける直接的な証拠は見つかっていません。しかし、オランダからか、あるいは中国の明や清で出版されて長崎にもたらされた版画や「画譜」を浮世絵師が目にして触発された可能性はありえるでしょう。おもに上半身を描いている共通性から、なんらかの影響を受けたと考える方が自然でしょう。東西に亘る奇想の画家の系譜について、今後の研究成果が大いに期待されます。


2022年7月26日 
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司