第46回 大学

 日本の大学の国際評価機関によるランキングが下降の一途を辿っていることが問題になって久しくなります。英語での講義が少ないことや、国際的な学術誌への論文の引用数がすくないとか、さまざまな原因が言われますが、最大の理由は、戦後の日本の高等教育システムとともに国家のありようのすべてが制度疲労を起こしていることだと思います。わが国では、明治5(1872)年にフランスの学制に倣って義務教育(尋常小学校)、旧制中学、旧制高校、大学という初等教育から高等教育までを整備しました。旧制高校や大学を出ていた日本軍の将校の多くが、一般の米国人より正確な文法で英語を読み書きでき、英米文学の高い素養があることに、捕虜の尋問に当たった米兵が驚いたという話を聴いたことがあります。
 敗戦後、アメリカ教育使節団の指示のもとに、義務教育が小学校6年と中学校3年という二段階制を採用し、その上に高等学校3年、大学4年という、6・3・3・4制になりました。これは、アメリカでも実施されなかった実験的課程で、結果的に高等学校が大学の入試技術を習得する予備校化してしまい、幅広い教養(Liberal Arts)を身につけるべき位置づけが曖昧になってしまったのです。敗戦によって、欧米との科学技術力の差を見せつけられた日本は、産業の再建を急ピッチで進めるため、実学重視の促成栽培のように企業戦士を育成しました。そのおかげで、高度経済成長の頃までは応用科学の分野でそれなりの成果を挙げたのはご存じの通り。しかしバブル期に、日本の官僚や政治家、また経済人が持っている歴史・哲学や藝術系の教養の低さが、海外の政財界人から嘲笑されたのは有名な話。「値段の交渉はするけれど、一緒にディナーへは行きたくない」というのが、ジャパンアズナンバーワン時代の日本人ビジネスマンへの評価でした。そして、最近の文科省が大急ぎで進めている大学のグローバル化も、日本の教養人を育成する大切な役目を忘れていないかと心配です。
 一方、あらゆる分野での研究開発力ではダントツの米国の高等教育では、多くの学生が古代ギリシアの「アテナイの学堂」を理想とする「Liberal Arts College(大学院を持たない人文系大学)」で哲学や藝術などの様々な教養を自由に選択して学んだ後に、専門に特化した研究型大学および大学院へ進学します。この時点で、専門領域以外にピアノやヴァイオリンを見事に弾きこなす学生や、演劇や高い運動能力などを有した多様な学生が混じっています。未だに「学部からの生え抜き」が重用されるわが国の大学事情との大きな違いです。[図版:ラファエロ・サンティ『アテナイの学堂』ヴァチカン宮殿蔵] 

fig1
fig2 かつて、アイゼンハワー大統領の辞任演説(1961)で、「軍産複合体」がアメリカを次の大戦争へと導いていると警告したあと、「それに警鐘を鳴らすことができるのは、教養ある市民だけである」と説きました。そして現在、通常兵器だけでなく、原子力開発、宇宙開発から、すべての科学研究、医療や感染症、そして自然環境から政治までの戦略的課題のほとんどすべてが軍と産業および大学の連携で進められていますが、いろいろ問題があるとはいえ、米国がその暴走に辛うじて歯止めを掛けているのは、大学人や知識人に人文系の教養や哲学がしっかり根付いているからでしょう。
 一方、日本の宇宙開発は、制御技術ではたいへん高い完成度にありますが、「何のために宇宙へ行くのか」という哲学や国家戦略は希薄です。また軍事戦略と切り離した性善思想の民生分野だけで発達したわが国のIT研究は、世界の最先端から取り残されました。そして昨今のコロナ禍対応が後手後手に回って終息できないのも、感染症研究に戦略思想が欠如していたからだと思います。日本が世界平和を希求する国家として世界に本当に貢献するためには、大学での軍事戦略研究への足枷を外すとともに、哲学や藝術を修得した真の教養人を育てる大学を打ち立てなければなりません。


2022年8月23日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司