第48回 写実

 キリスト教がヨーロッパ社会の隅々まで影響を与えていた時代、美術や音楽、建築は、神を讃える媒体として最も重視されました。それが近代以降に神の権威が凋落するにつれ、現実の人間社会や自然を見えたままに表現しようとするRealism(リアリズム、写実主義、自然主義など)藝術が台頭しました。それは、空想や神話性を排除して現実社会を描こうとする美術や文学・演劇などの思潮で、19世紀のなかごろまで西洋美術の主流となりました。
 その頃、もっとも権威のあった写実表現のアカデミーはÉcole des Beaux-Arts(パリ国立高等美術学校)で、明治の東京美術学校の模範とされました。しかし、19世紀の科学技術の発展や思想の変化にともない、ボザールのロマン主義的傾向の教育方針が徐々に批判されるようになり、透徹した写実で市井の人々の生活を描いたギュスターヴ・クールベ Gustave Courbet(1819〜1877)が「レアリスム宣言」を出して以来、大きな流れになりました。
 近世の日本に西洋の油彩画が紹介されたとき、人々はたいへん驚き魅了されました。平賀源内から油彩技法を学んだ秋田蘭画の小田野直武(1750〜1780)や、陰影を付けた肖像画を得意とした渡辺崋山(1793〜1841)、『鮭』で有名な高橋由一(1828〜1894)などが知られます。彼らは、西洋絵画が何を表現しているかという思想性よりも、「見えたまんま」の絵画に感動したのです。それまでの幻想的な水墨画や装飾的な琳派、あるいは世俗的で平板な浮世絵の表現ではなく、画面から描かれたものの向こう側まで手が回せるのではないかという空間性とそれを表現可能にした遠近法に驚嘆したのでした。
 もちろん、日本の美術史でも写実主義と呼ぶべき藝術は、立体造形の分野には存在しました。天平時代の鑑真和上像や東大寺執金剛神立像をはじめ、鎌倉時代初期の慶派の肖像はみごとな写実的彫刻といえます。とくに東大寺の重源上人像は、解剖学的にも性格描写の点でも世界第一級の肖像彫刻といえるでしょう。
 また漆工芸分野では、小川破笠(おがわはりつ、1663〜1747)の破笠細工が知られます。むかし、ある古美術店で古瓦と銅鏡が埋め込まれた文箱を見せられたとき、「触ってもいいですよ」と促されて触ってみると、見た目の陶器や銅の質感と違い、漆工品特有の温もりを感じてその写実性に驚きました。
 また明治の初めに海外に輸出されて一大ブームを巻き起こした象牙細工の牙彫(げぼり、げちょう)は、人類が産みだした写実藝術の最高峰に到達していると私は思っています。そして牙彫は、現代の若い作家たちにも大きな影響を与え続けています。
 そして日本の写実彫刻で忘れてならないものに、幕末から明治にかけて流行した生人形(いきにんぎょう)があります。まだ西洋風の「彫刻」という概念がなかった頃に、演劇的状況を見世物として彫刻で表現したものです。松本喜三郎、安本亀八らが驚くべき作品を製作しました。しかしそれらは、アカデミックな彫刻とは見做されず衰退し、市松人形やマネキン人形、菊人形へとその技術が承け嗣がれました。
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左:生人形『貴族男子像』松本喜三郎、スミソニアン美術館蔵  右:牙彫『松竹梅』安藤緑山、清水三年坂美術館蔵

 20世紀に入ると、抽象表現主義 Abstract Expressionismや概念芸術 Conceptual Art が隆盛を極め、写実表現は下火となりましたが、米国ではアンドリュー・ワイエス Andrew Wyeth(1917〜2009)のような写実画家が国民的な人気を博しました。そして1960〜70年代にはポップアート Pop Artの流れから、エアブラシを用いて写真と区別がつかないハイパー・リアリズム Hyperrealismという絵画表現も流行しました。
 日本でも、「分かりやすい」写実的絵画は常に高い人気があります。清楚な女性像で知られる森本草介、西洋絵画と見まがう青木敏郎、原雅幸らがおり、また最近は若手でもとても優秀な写実主義の画家が登場して、一つの分野を形成しています。そのなかでも野田弘志(1936〜)は、現代日本の写実絵画の最高峰といえるでしょう。奈良県立美術館秋の特別展は『野田弘志―真理のリアリズム』(9/17〜11/6)です。人気実力ともに第一人者の彼は、写真を積極的に使いながら、写真をはるかに超える存在感と現実感を表現し、油彩画でありながら日本人らしい清潔な感性と禅的な静けさを感じさせる絵画になっています。みなさまのご高覧をこころよりお待ちしています。


2022年9月16日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司

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