ウクライナ戦争とロバート・キャパ展(2022年10月9日)

 半年前、このコラムの第41回(2022年4月7日)『東京国立近代美術館の戦争画のことなど』で、私はウクライナ戦争について「戦争とメディアあるいは戦争と情報における時代的変化の激しさ」に驚かされると書きました。戦場を撮影した写真そのものは、写真が実用化(19世紀前半)されて間もない頃から存在します。たとえばロジャー・フェントンが撮影したクリミア戦争(1853-56)やマシュー・ブラディによるアメリカ南北戦争(1861-65)の記録などです。しかし「戦争を伝える写真の社会的威力」が確固たるものとなったのは20世紀になってから、特に第二次世界大戦前後が契機ではないでしょうか。その背景には、一つに写真自体の技術的進歩─具体的には携帯性・機動性・連写性能の向上などもありますが、もう一つ、写真を流通・流布(今ふうに言うなら拡散)するメディアの発達と普及も欠かせません。
 今回こんなことを書く気になったのは、ちょうど神戸・六甲アイランドの中にある神戸ファッション美術館で『もうひとつの顔 ロバート・キャパ セレクト展』が開かれているからです(11月6日まで)。
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神戸ファッション美術館入口のバナー(筆者撮影)

 ロバート・キャパ(Robert Capa / 1913-54)は20世紀前半を代表する報道写真家であり戦場カメラマンです。五つの戦争(スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦、第一次中東戦争、第一次インドシナ戦争)を取材して数々の写真を残し、第一次インドシナ戦争取材中に地雷を踏んで爆死したという最期もあって、報道写真史の伝説的存在となっています。
 インターネット時代の今では「グラフ雑誌」(写真を主体に誌面構成する雑誌のこと)という言葉をめっきり聞かなくなりましたが、キャパは印刷ジャーナリズム全盛期の報道写真・戦場写真を体現する人物といえるでしょう。キャパが契約した雑誌の一つ、アメリカの「ライフ LIFE」(1936-2007)はグラフ雑誌の代表例で、最盛期には一千万部以上も売れたと言われ、新聞雑誌等の印刷メディアの隆盛と影響力を象徴するものです。キャパが一躍有名になったのは1937年の「ライフ LIFE」に載った一枚の写真とされており、それは一般に「崩れ落ちる兵士」の名前で流布している、スペイン内戦の最前線で兵士が銃撃されて倒れる瞬間の写真です。これは戦争報道の意味を決定づけた衝撃の一枚として長く語り継がれてきたものです。ただ、近年の調査研究によると、この写真は、実際には最前線ではなく演習中に撮ったもので、しかも撃たれたのではなく足を滑らせてひっくり返った瞬間であろうという説が濃厚です。そういう意味では現在ネット上で拡散するフェイク写真と同列になってしまいますが、キャパがさまざまな戦争を現地取材して多数の写真を撮影したことは事実です。最も有名なのは、第二次世界大戦ヨーロッパ戦線の転機となったノルマンディー上陸作戦に従軍記者として随伴し、オマハ海岸に上陸しようとする連合軍兵士を撮ったものでしょう。最前線だけではなく銃後の市民の様子なども捉え、キャパは戦争のさまざまな側面を撮り残しています。
 神戸ファッション美術館の展示室には、会場構成の演出として、通称「チェコの針鼠」を模したもの(鉄骨製ではなくて木製ですが)がいくつか置かれていました。これは戦車等の通行を妨害する障害物として第二次世界大戦期に作られたもので、キャパがあったノルマンディー上陸作戦の写真の中にも映っています。しかし、皆さんの中には、ウクライナ戦争の報道でご覧になった方もおられるはずです(私もそうです)。ロシアの戦闘車両を通さないためにウクライナの市民が余った鉄骨建材で手作りしている様子がニュースで取り上げられたりしました。こうして見ると、戦争が繰り返される一方、メディアの在り方、戦争と情報の関係が一変し、かつ複雑化していることにあらためていろいろと考えさせられます。
 『もうひとつの顔 ロバート・キャパ セレクト展』の前半は、このような戦争写真が中心になっていますが、後半はそれ以外の写真で構成されています。文化芸術の著名人(ピカソやヘミングウェイなど)を捉えた肖像写真にはまた違った味わいがあり、キャパの写真家としての資質は戦場報道にとどまるものではないことがうかがえます(私は何故か映画監督のジョン・ヒューストンを撮った一枚が気に入りました)。また、第一次インドシナ戦争で亡くなる直前に訪日しており、奈良や京都を撮った写真も展示されています(なお、本展の出品作品はすべて東京富士美術館の所蔵品です)。
 今までロバート・キャパの作品は写真集や展覧会などで何度も見ていますが、ウクライナ戦争が現在進行形の今、こうやって再見すると、それぞれの写真が以前とはまた違う感じで見えてくるのが悲しいことです。

安田篤生 (副館長・学芸課長)