第51回 異貌の神々 宿神

 私が上京したばかりの頃、友人たちと練馬区の石神井公園というところに遊びに行きました。最初、石神井(しゃくじい)という読み方が分からなくて切符を買うときに困った記憶があります。その後、民俗学者の柳田國男先生の『石神問答』を読んでいて、「石神井」が「宿神(しゅくじん)」が転訛したものだと知り驚きました。宿神は、宗教だけでなく、秦河勝に由来する芸能民や職能民と密接に繋がる日本の民衆史へと拡がっていて、この小さな島国の信仰の歴史と文化の深さに驚きました。また「摩多羅神(またらじん)」や「後戸(うしろど)の神」、そして「翁」とも称された宿神の信仰は、外来文化を地層のようにどんどん堆積させて、時に応じて活用してきた2000年来のわが国らしい文化現象だと思います。
 そして日本文化には、朝鮮半島や中国大陸、シルクロードを経由して中央アジア、インド、小アジア、ローマに繋がる古代の異貌の神々が息づいていると夢想するととても楽しいものです。
 天台系寺院の常行三昧堂には、如来像でありながら菩薩の頭部に冠を被り、衣を通肩に着た独特の「宝冠阿弥陀如来」が祀られていますが、摩多羅神はその常行堂の背面(後戸・うしろど)に密かに祀られていたものだとか。そしてかつては法会の際に、堂衆たちが悪魔払いと称して、かなり猥雑で滑稽な歌を唄って賑やかに舞い踊ったとのこと。これが後に翁舞や狂言に発展したのかもしれません。
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左:摩多羅神と二童子 右:翁(摩多羅神)ミホミュージアム蔵

 また関西各地に「夙(しゅく)」「宿」という文字を付けた古い地名があちこちにあり、それは漂泊の芸能民や職能民のたまり場に由来します。そこには、宿神や石神井と関係する「しゅくしん、しゅくじん」が、守宮神、守公神、粛慎、守君神などとさまざまに表記され、シャグジ、シュグジなどとも称されて、呪術的性格の強い荒神、道祖神、塞の神などの民間信仰の小さな祠が建てられました。しかし、明治初めの神仏分離によって、神道とも仏教ともつかない猥雑な民間信仰の遺物として廃棄されたものも多く、かろうじて現在に断片的に引き継がれていたとしても、その本来の姿は忘れられてしまっています。
 最澄の天台宗によって平安時代前期に観音信仰が盛んになりました。天台系寺院には十一面観音を本尊とする寺院がたくさんあり、そのなかでも最高傑作のひとつが湖北の向源寺像です。この観音さまは、異国風の容貌や姿態でとても人気がありますが、注目すべきは後頭部にある「暴悪大笑面(ぼうあくだいしょうめん)」という大笑いしている不気味な菩薩面です。学生時代に、ひとびとの煩悩や悪行を笑い飛ばしていると教えられましたが、後に天台系寺院の常行三昧堂に、後戸の神・摩多羅神が祀られていたことを知りました。翁面と共通するこの暴悪大笑面の不気味な笑い顔は、はたして後戸の神「摩多羅神」と関係しているのでしょうか。
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向源寺 十一面観音後頭部の暴悪大笑面

 秦河勝と深い関係のある京都太秦・広隆寺境内の大酒神社には、牛祭という奇祭があります。不気味で滑稽な紙の仮面と装束を着けた摩多羅神が牛に跨がって赤鬼・青鬼とともに練り歩き、災厄退散の祭文を読み上げる古式ゆかしいものです。摩多羅神について、18C天台僧・覚深は、「天竺・支那・扶桑の神なりや、その義知りがたし。支那の神にあらず、また日本の神にもあらざれば、知らざる人疑いを起こす輩もあるべきことなり。」(『摩多羅神私考』)と述べていることから、すでに近世にはその由来が分からなくなっていたようです。牽強付会の誹りを怖れずにいえば、秦氏〜広隆寺〜牛祭〜牛頭天王〜スサノオ〜新羅の弥勒信仰〜山東八神の兵主神(ひょうずしん)と連想を逞しくしていくと、かつてイラン各地からローマ帝国でたいへん隆盛であった秘儀の宗教・ミトラ教(ミスラ教、ミトラス教、弥勒教)の牡牛を屠(ほふ)るミトラス神の像が思い浮かびました。もちろんこれは学術的に何の裏付けもありませんが、魅力的な楽しい連想ではあります。
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牡牛を屠るミトラ神

 奈良県桜井市の談山神社常行堂には、摩多羅神とされた大ぶりの翁面が伝えられていて、数年前には毎年、能楽師によって翁舞が奉納されていました。なおこの面は、奈良県立美術館に寄託されています。
 来年の開館50周年記念『仮面芸能の系譜』展の準備を進めるうち、金春禅竹の『明宿集』(15C)に能楽発祥以前の申楽といえる翁舞について触れていることから、「宿神」を避けて通れなくなりました。そしてこの神が、常行堂の後戸の神「摩多羅神」と密接に関係し、秦河勝や聖徳太子信仰、そして天台宗を通じた星辰思想(北極星と北斗七星への信仰)から、日光東照宮へと拡がり、また追儺会の鬼神とも関連して、神仏分離以前の日本人の精神史に深く影響を与えていることを何とか展示に反映させたいものだと思案しています。


2022年10月18日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司