第52回 異貌の神々 中国由来の神々

 日本古来の霊性・Spiritである「たま」とは、人の目には見えないけれど確かな存在感を持ってわれわれに働きかけるちからの総体・Forceをいいます。そしてその性格によって、和霊(にぎたま)と荒霊(あらみたま)という二通りに分けられます。和霊とは、文字通り安寧と福寿をもたらし、幸霊(さきたま)ともいわれます。一方、荒霊は、天災や疫病などをもたらすおっかない霊性です。しかし、どんなに荒々しい神であっても、一神教のように打ち倒すべき悪神や悪魔とせず、畏敬の念を持って対処したことがわが国の文化といえるでしょう。昔の人は、風神・雷神が引き起こす台風や大ナマズが引き起こす地震、飢饉や流行り病に対処のしようもなく、すみやかに通り過ぎてくれるのを待つしかありませんでした。
 竃神(かまどじん)である三宝荒神は、さまざまな恩恵とともに恐ろしい火災に繋がる火の神として、穀神である大黒さまと並べて台所などに大切に祀りました。どんな荒霊であっても丁重にお迎えし、神饌や歌舞音曲でもてなして、ご機嫌にお帰り戴くのが古代からの和の国のならわしでした。
fig1三宝荒神の標章

 荒霊の造形は、古代インドに源泉をもつ仏教の観音菩薩や明王、夜叉神が中国で道教(天道の教え)と習合して形成され、天台宗や真言宗の密教信仰とともに修験道や山岳信仰などの要素が混ざって成立し、融通無碍な解釈が生まれました。今回は、神社や祠に祀られている数多の荒霊の代表例をほんのすこしご紹介したいと思います。
〈妙見菩薩〉
 北極星や北斗七星を神格化した妙見菩薩は、観音信仰と道教の星宿思想が習合して成立したと考えられます。菩薩と呼ばれますが、その姿は甲冑を着け、剣を執る姿をしています。北魏から隋代にかけてすでに信仰が始まり、仏教が盛んであった唐代に大黒天や毘沙門天などの「天部」の一尊として、武闘の神「妙見天」とも呼ばれて大いに崇敬されました。天台宗三代座主の円仁が晩唐を訪れたときに、その信仰が盛んであったことを『入唐求法巡礼行記』に記し、わが国に妙見信仰をもたらしました。そして鎌倉時代以降に天台系寺院や日蓮宗寺院を中心に武家の信仰を大いに集めました。江戸時代の平田篤胤による復古神道において、「記紀神話」が説く宇宙の中心の神である天之御中主神(アメノミナカヌシ)に比定され、明治の神仏分離の際に、多くの妙見菩薩がこの神に置き換わりました。房総の豪族であった千葉氏は、熱心な妙見信仰を持っていたことが知られます。また徳川家の東照大権現も、妙見信仰の発展形といえるでしょう。
fig2妙見菩薩

〈庚申(コウシン)〉
 道教では、「三尸(さんし)」という三種類の寄生虫が人体の頭、腹、下半身に住んでいると信じられました。各地で見かける庚申塔や庚申塚は、この不気味な三尸を封じるために祀られました。60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の夜に、三尸は宿主が眠っているのを見計らって体内から抜け出して、天帝に彼の罪を報告し、寿命を縮めてしまうのだそうです。やがて唐代に仏教と習合して、庚申の夜にみんなで集まり、眠らずに一夜を明かす「守庚申会」というお祭りが行われました。それが平安時代に日本に紹介され、貴族の間で流行しました。民間では、江戸時代に入ってから地域で庚申講とよばれる集まりで夜明かしをする風習が盛んに行われました。庚申塔や庚申塚のなかには、三尸を調伏する青面金剛(しょうめんこんごう)と三猿などを石に刻んだ碑が祀られていますから、庚申塚の前を通りかかったら、長寿延命を願って、そっと手を合わせておきましょう。
fig3青面金剛と三猿が彫られた庚申塔

〈道祖神(どうそじん)〉 
 道教では、悪霊は門や玄関から直進して侵入してくるとされました。そこで福建省あたりでは、厄除けに「石敢當」という石碑を建てました。中国文化の影響を強く受けていた沖縄の家々でも、入り口に石敢當(いしがんとう)を建てて、悪霊が入り込まないようにしていますし、日本の武家屋敷や寺社の玄関に衝立を立てるのも同じ理由です。おそらくこれとの関連があると思われますが、道祖神や塞の神(さいのかみ)などが各地の集落に通じる路傍に祀られています。悪霊が溜まるとされた二股道や二股川の合流地点のことを「岐(くなど)」といい、塞の神として「岐神」が祀られました。多くの場合、縄文時代に作られて発掘された男根状の石棒などが転用されましたが、二股に立てるに相応しい造形物ともいえます。
fig4沖縄の石敢當

fig5塞の坊(籔内佐斗司作)

 このように、「異貌の神々」のほとんどが海外から移入されたものであるといえます。そして江戸時代に盛んになった「国学」は、異国の要素を弁別し、「やまとごころの本来の神はなにか」を求める学問だったといえます。それが、廃仏毀釈運動に繋がり、仏像だけでなく、由来不明の祠を次々に破壊してしまったことは、ほんとうに残念なことでした。今一度、みなさんの身の回りの神さまの戸籍について調べてみてはいかがでしょう?

2022年11月8日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司