第53回 まさかいまごろ!

 最近、「まさかいまごろ!」という事態が頻発しています。
 2022年2月に起きたロシアによるウクライナ侵攻は、1939年のナチスドイツによるポーランド侵攻や1948年の北朝鮮の南侵を想起させますし、今年7月の安倍晋三氏への銃撃暗殺事件にも、「まさかいまごろ、こんなことが起こるのか!」と心底驚きました。そしてつい最近では、北朝鮮のミサイル発射時に、「Jアラート」がすべてのテレビ画面に映し出され、「いまどき、空襲警報!?」と面くらいました。結局ミサイルは日本領空に到達せず、日本海で消滅したと発表されて拍子抜けしました。コロナ情報や台風などの気象情報もそうですが、最近のいささか過敏すぎるさまざまな警報を聞くたびに、「狼少年」はかえって危険だということを政府はもっと自覚すべきですし、社会学者や社会心理学者などを中心に具体的是正策を提言すべきだと思います。
 3年目に突入したコロナ騒動は、今年の中頃には収束するだろうと予想していました。しかし、欧米が、社会生活の正常化優先を迅速に決定し、コロナウイルスとの共存を決めたのとは対照的に、現政権は前向きな決定をなにひとつできずにいます。2020年当時の安倍首相が「感染症レベルを2類から5類に緩和する」ことの検討を指示し、岸田政権になってから「感染者の全数把握の見直し」や「諸外国の対応をしっかり見極め、科学的根拠のもとに、新型コロナの収束を計っていきたい」という方針を発表したにも関わらず、感染者数が増加するたびに腰砕けになりました。
 しかし、5類への緩和と全数把握方針を見直さない限り、医療現場の逼迫と社会の閉塞感やストレスはなくなりません。その一方で、海外の会議に出席した都知事や総理、そしてエリザベス女王の葬儀に参列された両陛下までもが、要人と対面するときなどにマスクを外していた姿に、日本と諸外国のウイルスは別ものなのかなと考え込んでしまいました。また、感染者数が増加するたびに出てくる専門家会議の会長さんによる「第8波が迫っている!」というありがたくない予言にも、もううんざりです。
 在米の知人によると、コロナ騒動当初に米国で多くの死亡者が出て大騒ぎになりましたが、その後の調査で、糖尿病や高血圧、肥満という重篤な持病を持っていながら、民間の保険会社の健康保険に加入できない貧困層を中心に初動対応が遅れたことが原因だったそうで、同じ状況のインドやアフリカなどでも見られた現象でした。そして、報道で遺体袋に入れられた夥しい死者や、棺桶や埋葬地が足りないという扇情的な映像が流されて、世界はペストやスペイン風邪の再来かと恐れおののいたものでした。
 その後、コロナ感染が接触感染や飛沫感染よりも、エアロゾル感染(空気感染)が中心であることがわかり、簡易マスクの着装や飲食店のアクリル板、消毒スプレイによる除菌などは、新型コロナの感染拡大防止には大きな効果がないことが解明されるにつれ、欧米では脱マスク、ポストコロナの流れが一気に進んだということです。外国人の入国が解禁された先日、新幹線の車内で繰り返し流される「新型コロナウィルス感染拡大にともなうお願い」に関する長々とした「過剰放送」に、アメリカ人とおぼしき一団が、通訳が逐一翻訳するたびに大爆笑が起こっていたのに出くわしました。彼らにとっては、「いまごろ、なにゆうてんねん!」の感が強かったのでしょう。
 そういえば、わが国で、公的な感染者数がファックスを通じて報告されていたことが、世界の嘲笑を集めたことも記憶に新しいことです。また厚労省が盛んにダウンロードを推奨した新型コロナ接触確認アプリ「cocoa」が、様々な機能不全のすえに最近廃止されたことも、なんとも間の抜けたことで、デジタル後進国の面目躍如でした。
 こうした日本政府によるコロナ対応の無策ぶりを眺めていると、第二次大戦末期に、太平洋戦域が決定的な劣勢に陥り、1944年末からB29による大都市の焦土化作戦が始まったにも関わらず、政府や軍部(そしてマスコミも)は、自分たちが流し続けた「鬼畜米國」(アサヒグラフ)、「アメリカ人をぶち殺せ」(主婦の友)、「撃ちてし止まむ」(陸軍省)などという標語に囚われて、大所高所からの決断ができなくなった姿と重なって見えます。
 従来型インフルエンザの致死率と変わらなくなった新型コロナのリスクと、それへの過剰対応によって生じる日本の社会システムや国民が蒙る損失を冷静に天秤にかけられないほど、わが国の知性は衰えているのでしょうか? 

2022年11月16日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司