建築家・磯崎新氏の訃報に触れて思うこと(2023年1月5日)

 年も改まり、今年2023年は奈良県立美術館の開館50周年になります。当館は3月まで改修工事休館中ですが、4月以降は様々な企画準備しておりますので、ご期待ください。

 さて、昨年の末のこと、世界的建築家・磯崎新氏(1931-2022)の訃報が一斉にメディアを駆け巡りました。奈良には磯崎氏が設計した「なら100年会館」(1998年)がありますが、インターネットを軽く検索しただけでも、シンプルな訃報にとどまらず氏を追悼する記事の多さに、その足跡と影響力の大きさがうかがえました。多くの訃報の中で、建築界の名誉の最高峰であるとか建築界のノーベル賞などと言われるプリツカー賞を、磯崎氏が日本人としては7組目(8人目)に受賞(2019年)したことに触れられていました。業績からすると遅すぎる感がありますが、そもそも磯崎氏はプリツカー賞の設立に関与し、最初の10年ほどはその審査員もつとめていたことを考えれば、その国際的な存在感がわかるものです。

 磯崎氏は近代モダニズム建築を批判する形で生まれたポストモダン建築をリードした建築家とされ、国内外を問わず数々の名建築を設計しました。一方、建築設計や都市計画という実務的な仕事にとどまらず、建築を文化や社会の中に位置づける批評的・理論的な言説を通しても影響を与え続けました(「磯崎新建築論集」全8巻が岩波書店から出ているほどです)。批評的な仕事の中には、コミッショナー(監修)をつとめた第6回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展(1996年)において、前年に起きた阪神淡路大震災の瓦礫をヴェネチアまで運び、日本パビリオンの中に廃墟を作り出して世に問うた例(金獅子賞受賞)もありました。

 しかしながら、その業績と歴史的意義はいくつもの追悼記事で触れられていますので、ここではちょっとした私的な回想に移らせていただくことにします。

 磯崎氏は群馬県立近代美術館(1974年)、北九州市立美術館(1974年)、ロサンゼルス現代美術館(1986年)など美術館の設計もかなり手掛けています。その中でも氏の個人的思い入れがあったと思われるのが、原美術館(東京都品川区、1979-2021)の別館として作られたハラ ミュージアム アーク(群馬県渋川市、1988年竣工、2008年増築)でしょう。現在は原美術館の閉鎖に伴い原美術館ARCへ改名したこの館では、磯崎氏の還暦・喜寿・米寿を祝う会がそれぞれ行われたというエピソードがあるのです(設計者で世界的巨匠とはいえ個人のお祝いをするあたり、私立美術館ならではのお話です)。伊香保温泉の近く、榛名山麓の高原に位置する同館は、緑豊かな環境に恵まれているとはいうものの、東京都心から決して行きやすい場所ではありません。それでも多くの関係者が磯崎氏のために集まってにぎわいました(私自身が居たのは喜寿のお祝いだけですが)

 実を言いますと、私は1993年から2019年まで原美術館に勤務しており、さらに2000年から2013年までハラ ミュージアム アークの副館長を兼務しておりました。同館の20周年にあたる2008年に展示室と収蔵庫などを増築するプロジェクトがあったので、設計や工事に関する打ち合わせで何度も磯崎氏のオフィス(磯崎新アトリエ)にお邪魔しました。その増築完成後まもなく、建て替えたばかりでぴかぴかのミュージアムカフェで喜寿のお祝いがあったのを記憶しています。

 ハラ ミュージアム アーク(現・原美術館ARC)の増築では特徴的だったことがふたつあります。ひとつは現代美術館に東洋古美術向きのギャラリー「觀海庵」(かんかいあん)を付け加えることでした(もともとは美術館側からのオーダーです)。床の間と違い棚を備える書院造を参照した六間四方ほどの小さな展示室ですが、随所に磯崎氏のこだわりが反映した造りで、入口に掲げた「觀海庵」の小さな扁額も磯崎氏に揮毫していただいたものです。そしてこの展示室では、東洋古美術(狩野派や応挙など)と内外の現代美術のコレクションをあえて取り合わせて展示するという試みを最初から続けています。
ARC
画像:原美術館ARC公式サイトから 手前が「觀海庵」

 

 もうひとつの特徴は(こちらは磯崎氏の発案です)収蔵庫の一室を開架式図書館ならぬ「開架式収蔵庫」にするというものです。通常、美術館の作品収蔵庫は文字通りに倉庫、お蔵ですから、作品を収納棚などにみっちり収めて関係者以外立入禁止の空間です。その一室を、展示室ほどではないにせよ、作品を閲覧・鑑賞できるようなしつらえにしようというものでした(展示室のようなスポット照明を付けたり一部に展示室のような壁面を設けたり、など)。私も欧米の美術館でそのような例を見たことはありますが、2008年当時の日本国内では類例がなかったと思います。開架式収蔵庫の完成後は、日時限定の予約制で鑑賞ツアーを行うようにしていました。ただ、コロナ禍になってからは定期的ツアーはやめてしまったようです。

 もうひとつ、磯崎氏と原美術館の関係で個人的にも思い出されるのが、夫人の宮脇愛子さん(1929-2014)のことです。宮脇氏は《うつろひ》シリーズなど金属のパイプやワイヤーを使った環境造形的な彫刻家として知られています。しかし、そうした彫刻制作に力を入れ始めたのは1960年代後半になってからで、それまでは実験的・前衛的な抽象絵画を主に制作していました。私が原美術館に転職して2年くらいしたころ、宮脇さんから館長・理事長の原俊夫のところへ、自宅を整理していたら昔の絵画がたくさん出てきたので見てくれないかという連絡が来て、私も一緒にアトリエまで出向いて(当時は磯崎さんのアトリエの近所にありました)作品を見せてもらいました。その結果、これは質・量どちらもいいぞということになり、『宮脇愛子 絵画1959-64』と題した企画展(1996年)に私が仕立てて原美術館で開催したのでした。「宮脇愛子といえば《うつろひ》の彫刻家」というイメージがほぼ固まっていた頃なので、面白い企画展になったのではないかと思います。出品した絵画のうち2点はそのまま原美術館のコレクションになり、さらに別の2点が現在は東京国立近代美術館に収蔵されています。

 なにやら磯崎新氏の訃報にかこつけて私的な回想になってしまいました。付け足しますと、私は今年の年男(卯年)、誕生日が来るといよいよ還暦なのです。そういうこともあり、何かにつけて昔のことをいろいろ思い出すようになってきた次第です(要するに、年寄りになった…!?)。それはともかく、冒頭にも書きましたように、今年は奈良県立美術館の開館50周年、引き続きよろしくお願いいたします。

安田篤生 (副館長・学芸課長)