第58回 錯視 其の一

 ひとは、眼がものを見ていると思っていますが、実際は網膜細胞に映った映像の断片が脳に送られて大脳半球の最後尾にある後頭葉という視覚野で統合・整理して視覚を形成しているとか。要するに、外界の映像といえども、決して客観的にではなく、各自の脳が創り出している主観的なものだということです。仕事柄、印刷物の色校正をすることが多いのですが、同じ写真の原板を見ているはずなのに、私と印刷会社のひとでこんなにも色の見え方が違うのかと、驚かされることがたびたびあります。また私は乱視がきついために、左右対称を判断するのがとても苦手です。自分が制作している彫刻をスマホで撮影して鏡像にして見てみると、左右のずれが二倍になりますから、その落差に愕然とします。しかし、これなども脳内でずれを修正して理解しているからでしょう。もっともいにしえの巨匠たちの作品も鏡像で見るとかなりずれていて、このずれが天才の個性の元なのかと勝手に安心したりしています。

 子どもの頃に蒲団で寝ていると、天井板の木目が人の顔に見えて気になってしかたがなかった記憶があります。また、写真の背景に人の顔のようなものが映りこんで、幽霊だとか心霊写真だと騒がれることもあります。これを心理学では錯視の一部の類像現象(英: Pareidolia)といい、人類が敵かもしれない相手をいち早く発見するために、先天的に持っている認識能力だそうです。脳が正確な情報として知的に処理してから行動を起こしていたら、敵に襲われてしまうでしょう。

 絵画や彫刻における具象表現とは、結局こうした錯視をたくさん利用しています。レオナルドダヴィンチの遺稿に、「壁のしみや、色々な種類の石などが混ざっている様子を見たときに、山や川、岩や木、広がった平原や谷や丘で彩られたさまざまな風景を思い浮かべることがある。また、人の動く姿や奇妙な表情の顔、異国風の衣装など、数えきれないほどの形象が見え、私はそれらを個別に解釈して絵画にしているのだ」と記し、錯視や類像現象を絵を描く上での重要な道具として利用していることを記しています。

 丸くて黄色い「ニコちゃんマーク(Smiley Face)」は、円の中に描かれた顔の最少限の構成要素でできています。1963年にマサチューセッツのデザイナー・Harvey Ballがある会社のために創作したそうですが、4000年前の古代遺跡からも似たような絵文字が見つかっているとか。これは、人も動物も、目と口が逆三角形に配置されていることから、こうした図形を本能的に「顔」と脳が判断してしまう類像現象です。
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類像現象図版 左から:コンセント、駅の遮蔽板、Smily Face

 また絵の天地を逆にするだけで、全く別の画像に見える場合があります。そして、いったんそう見えてしまうと、私たちの脳はなかなか修正が利かなくなります。最近はCGによる画像加工が簡単になりましたので、Netに紹介されている錯視画像もとても巧妙なものが溢れています。
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ライオンとネズミの錯視画像

 自動車を正面から見るとひとの顔に見えます。最近の車はほとんどが吊り目で人相がよくありませんが、50年くらい前の車は円らな瞳でひとの良さそうな顔をしていて、永く愛される意匠が多くありました。私は、Austin-Healey SpriteやJAGUAR Mk2の顔が大好きです。余談ですが、光岡自動車のViewtの顔が、JAGUAR Mk2にそっくりなのは、錯視でもパクリでもなく、名車をtributeした「pike car(旧車風にデザインした車)」というジャンルだからです。Viewtがtributeのもじりだとしたらとてもしゃれていますが、ちがうかな?
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左から:Austin-Healey Sprite、JAGUAR Mk2、光岡自動車 Viewt

 私たちは、後頭葉細胞のいささか早とちり気味の錯視によって、安全に生き延びたり、豊かな造形作品を楽しんだりしてきたのです。そしてAIの認識能力が錯視するくらいに進化したら本物でしょうね。


 「錯視」については、心理学の分野で驚くほど研究が進んでいますので、近いうちに稿をあらためて、たくさんの例を挙げながらご紹介したいと思います。


2023年1月17日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司