150周年を語ったついでに100年前も(2023年1月31日)

 毎年1月となると阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の犠牲を追悼する催しが行われ、各種メディアでも取り上げられます。続いて3月になると東日本大震災(2011年3月11日)の記憶を再確認することになります。今年で12年となる後者については、原発事故の影響がいまだに尾を引いており、原発周辺被災地の回復はいつになるだろうという状況である一方、阪神・淡路大震災に関しては、震災後に生まれた方々が続々と成人を迎えられ、記憶の風化を危惧する声も聴かれます(私も当時神戸と西宮に住んでいた親戚がそれぞれ自宅全壊の憂き目にあったので他人事というわけではないのですが)。そんな地震大国に生活しているわれわれですが、さらに過去を遡ってみると、今年(2023年)は関東大震災(1923年9月1日)からちょうど100年になります。

 実は、前回のコラムで『鉄道も150年、美術(館)も150年』をテーマにしたので、ついでだから100年前=1923年(大正12)年もコラムの話題にできないかと考えてみたのです。しかし、日本史的には何といっても関東大震災が1923年最大の出来事になるでしょう。とはいうものの、このコラムでもう少し「かるく」取り上げられる事象はないものかと無理やり探してみました。そうしたら、ひとつありました。

 それは何かというと(今回の書き出しとは落差が随分あって恐縮ですけれども)、今でも人気のある江戸川乱歩(1894-1965)が短編小説『二銭銅貨』を発表してデビューしたのが1923年でした。たまたまNHKでも、江戸川乱歩になる前の平井太郎(本名)が探偵稼業に手を染める(というフィクション全開の)ドラマが始まったばかりらしいので、ちょうどいいですね(こじつけもいいところ)。つけくわえると江戸川乱歩は多少関西とも縁があるのでなおさらです(さらにこじつけ)。

 世界的に見ると探偵小説/推理小説の始祖はアメリカのエドガー・アラン・ポー(1809-49)というのが定説で、江戸川乱歩もポーにあやかって筆名を付けたのは有名な話です。ただ、日本人が最初に(翻案・翻訳ではなく創作物として)書いた推理小説は黒岩涙香(1862-1920)の短編小説『無惨』(1889)とされているので、乱歩が第一号というわけではありません。しかし黒岩涙香はその後に本格的な推理小説を執筆していません。その業績や現在に至る人気と知名度からいっても、江戸川乱歩のデビュー100年というのは日本の推理小説史的に見て大きな出来事といえるでしょう。

 さて、江戸川乱歩(出身は三重県名張市)と関西の縁なのですが、実際には東京で生活していた時期が長く(早稲田大学を卒業しています)、名探偵明智小五郎が活躍し、怪人二十面相が跋扈した舞台も東京とその周辺が多いようです。都市論の視点から乱歩の作品を読み解いた『乱歩と東京1920都市の貌』(松山巌=著、1984、日本推理作家協会賞評論部門受賞)という面白い研究書もあるほどで、乱歩の物語世界と東京は切っても切れません。それでも作品の中で関西が舞台になるものもあり、例えば明智小五郎シリーズの一篇『黒蜥蜴』(1934)がそうです。明智小五郎と美貌の女賊・黒蜥蜴との対決をいわゆるエロ・グロ風味を盛り込んで描いたこの作品は、シリーズの中でも人気のある作品でしょう。作中の一部では大阪が舞台となっており、通天閣(初代のほうです)でスリリングな取引が行われる場面も登場するのです。この『黒蜥蜴』は過去に何度となくテレビドラマ・映画・舞台劇になっているので、ご覧になった方もおられるでしょう。とりわけ三島由紀夫(1925-70)が戯曲化した舞台劇(1962初演)は繰り返し再演される人気で、三島版に準拠した映画化も二度されています。その舞台版の多くと二度目の映画版(1968、深作欣二監督)で黒蜥蜴を演じたのが美輪明宏(丸山明宏)でした。

 また、代表作のひとつ『パノラマ島奇談』(1926-27)に登場する、主人公が奇怪な理想郷を作り上げるパノラマ島はM県S郡にある小島だと作中で書かれています。乱歩はごく短期間三重県の鳥羽造船所に勤務していたことがあり、旧・志摩郡がモデルだと言われています(三重は関西なのか東海なのか、というのはちょっと置いておきますね)。なお、乱歩の故郷三重県名張市の市立図書館では『江戸川乱歩リファレンスブック1~3』を刊行しています。

 乱歩は何度となく(特に若い頃は)転居を繰り返していたそうですが、大正末期の一時期には大阪府守口市に住んでいました。この守口の家で執筆されたものに『心理試験』『人間椅子』『屋根裏の散歩者』(いずれも1925)といった初期の秀作があり、特に『人間椅子』と『屋根裏の散歩者』は江戸川乱歩でなければ出てこない奇想を特色としています。また、明智小五郎の記念すべき初登場作『D坂の殺人事件』(1925)もこの家で書いたとのことですが、作中の舞台D坂の元ネタは大阪ではなく東京の団子坂です。

 というわけで、前回の「150年」に続き、今回は無理やり「100年」にかこつけて江戸川乱歩の話題を取り上げました。どうせなら、ついでのついでに50年前のことも触れましょうか。そうなると当然、奈良県立美術館の創立(1973年3月)に触れないわけにはいきません(これぞ牽強付会ってやつですかね)。当館は3月まで工事休館しておりますが、今年は50周年の記念の年ということで、4月以降は様々な企画を準備しております。ご期待いただければと思います。

安田篤生 (副館長・学芸課長)