第62回 さくら

 私の世田谷の工房の前の緑道公園には、みごとな桜並木があります。もとは農業用水路だったそうですが、高度成長期の急激な市街化で生活排水が流れ込んで水質が悪化したために、50年ほど前に暗渠化し、何キロにも渡りソメイヨシノを植えて公園にしたとのこと。私がここに仕事場を構えたとき、並木の樹齢は40歳くらいで、最も勢いのある頃でした。枝が道路を覆い隠し、桜のトンネルができるほど見事で、毎年知人を集めて花見を催したものです。満開時の夜には、 時が止まったような静寂が訪れ、とても不思議な光景でした。やがて花吹雪が終わると萠え出る若葉を愛で、夏の木陰に憩い、秋には見事な紅葉を楽しみました。桜花の素晴らしさを毎年満喫させてもらうとともに、その潔く献身的な生き方に感謝してきました。

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工房前の桜並木

 ソメイヨシノは、江戸時代末にエドヒガンザクラとオオシマザクラの種間雑種(同属の異なる種が交配した雑種)で生まれた新種で、ヤマザクラなどが花と葉が一緒に出るのに比べ、花だけが先行して咲く見事さが好まれ、公園や学校、街路に植樹する樹として急速に普及しました。東京の駒込駅から巣鴨駅にかけての染井という地区に住んでいた造園職人たちが、幕末ころからこの桜を栽培し「染井吉野」と名付けましたが、奈良の吉野桜とはご縁はないとのこと。

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東京都立染井霊園のソメイヨシノ

 受粉による増殖能力が低く、接ぎ木によって人工的に殖やされたために、同じDNAを持っているクローンなので、一斉に開花し一斉に散るという性質が他の桜より顕著なのだそうです。関西では市街地にもいろんな種類の桜が植えられているため、開花時期は一定ではなく、花の色もさまざまでしたから、東京に住み始めたばかりの頃、葉のないソメイヨシノの色味がやけに白っぽいなあと感じたものです。

 この木は、だいたいひとと同じくらいの寿命で、樹齢80〜100年で病虫害などによって多くは枯死するそうで、私とほぼ同じ樹齢の緑道のこの桜には、ひときわ愛着があります。この5〜6年、明らかに樹勢が衰え、樹皮に輝きがなくなり、サルノコシカケのような茸や苔が目立つようになりました。区役所による枝の剪定のおかげで、年々花の数も少なくなっていて、まるでおのれの姿を見るようでいささか複雑です。

 古来より、中国では花といえば梅で、わが国でも奈良時代までは花は梅のことでした。それが平安時代以降、「右近の橘、左近の桜」として日本を代表する花樹になりました。

「伊勢物語」にこんな話が載っています。桜の季節のある日、惟喬(これたか)親王(844〜897)が、在原業平らをお供に、鷹狩りに出かけました。といっても、実際は鷹狩りを口実とした、花見の酒宴で恋の歌を詠み合うことが目的でした。桜の美しい水無瀬の別荘に立ち寄り、その木の下で歌合わせをすることになり、このときに業平が詠んだとされるものが以下の歌です。

「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」

 散り急ぐ桜のために、心を煩わされる春への想いに重ねた恋心の歌です。そこに同席していた、当時の貴顕のアイドルだった清少納言が、以下のような歌を返しました。

「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」と、儚いからこそ恋はすばらしいと歌ったのです。現実にこうした状況があったというよりは、「時世経て、久しくなりにければ、その人の名忘れにけり」とあることから、相聞歌に託(かこつ)けた後付けの創作的情景と考えられます。

 春の訪れに、散り急ぐ桜を愛でて言祝ぐ日本人の心情を、これからも大切にしたいものです。

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三十六歌仙 在原業平「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」

 

2023年3月28日
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司