古事記が書かれたのは、今から約1300年前。編纂(へんさん)したのは朝廷の文官、太安萬侶です。語学の才に長(た)けた安萬侶は、記憶の天才・稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦(あんしょう)した各地に伝わる伝承神話などを、日本語の響きを伝える画期的な漢文体で表記。古事記編纂の大事業とともに、日本語の確立に貢献する偉業をも成し遂げたと言われています。 才人・安萬侶を祀るのは、古くは広大な境内を有した大和屈指の大社、多神社(正式名称:多坐彌志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社)です。主祭神は安萬侶の一族で古代豪族・多氏の祖につながる神八井耳命(かむやいみみのみこと)。社(やしろ)は奈良盆地のほぼ真ん中に建ち、三輪山と多神社、二上山は、東西一直線でつながります。春分・秋分には三輪山の山頂からの日の出、二上山に沈む夕陽が拝めるなど特別な方位に位置。 古代からの太陽信仰聖地説もあり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が伊勢神宮に鎮(しず)まるまで祀られた「元伊勢」以前の笠縫邑(かさぬいむら)伝承地の一つとされています。 1979年、奈良市比瀬町(このせちょう)の茶畑から、安萬侶の墓が発見されました。中でも被葬者を定かに示す墓誌(ぼし)の出土は考古学史上の大発見であり、古事記をめぐる古代ロマンのニュースに日本中が沸きました。 多神社境内をとりまく一帯は、弥生時代からの集落遺跡で古代の祭祀(さいし)場とされるところ。多くの伝承の中心に社が鎮座しています。
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