深める 深掘り!歴史文化資源

7 奈良の近代遺産

  • 旧生駒トンネル
    奈良県の近代化
    明治20年(1887年)、大阪府から独立した奈良県は、遅ればせながら近代化の道を歩み始めます。まず、神仏分離令による廃仏毀釈で荒廃した、県都奈良市の復興が足がかりとなります。興福寺の跡地を近代的な奈良公園に整備し、県庁・帝室博物館・県立物産陳列所などの省庁群が建設されました。
    また、古社寺保存法の設置制定に伴い、寺社や名所旧跡の観光資源が復活が復興し、参拝や観光を目的に、北部を中心に鉄道網が整備されます。明治20年代には、奈良・大阪・京都を結ぶ鉄道が開通し、昭和の初めには、ほぼ現在の形になりました。
    一方、南部の吉野地域では、林業が、京阪神の近代化進行に伴う木材需要に支えられ、大いに発展します。そして、木材の供給手段として鉄道・道路・電力などのインフラが整備されます。それでは、現存する奈良の近代遺産をご紹介します
  • 奈良県物産陳列所
    奈良の近代建築
    新生奈良県が設置されて以降、奈良公園およびその周辺には多くの公共建築物が建てられました。
    明治35年、奈良公園に建設された奈良県物産陳列所は、木造の和風建築であり、奈良県技師の関野貞(せきのただし)が設計を担当しました。関野は平等院鳳凰堂(宇治市)に興味を持っていたため、それに似た外観にしたといわれています。物産陳列所とは、明治から昭和初期にかけて、殖産興業のために全国各地に建設された建物であり、奈良県物産陳列所では筆・墨・竹製品などが陳列されていました。実はこの建物をめぐっては、昭和50年代に取り壊し計画が持ち上がりましたが、入江泰吉(写真家)が賛同人名簿に署名するなど著名人らを中心とした保存運動により取り壊しを免れ、昭和58年には国の重要文化財に指定されました。現在では奈良国立博物館の管轄となり、 仏教美術研究センターとして活用されています。
  • 旧奈良監獄
    明治41年に竣工した奈良少年刑務所(当時の呼称は「奈良監獄」)は、煉瓦(れんが)造の洋風建築であり、法務省の山下啓次郎が設計を担当しました。山下は、それまで木造が主流であった監獄の建物を、煉瓦造で設計することにより、監獄にふさわしい堅牢さを目指しました。この「奈良監獄」と、同じく山下が設計した千葉・金沢・諫早・鹿児島の監獄をあわせて、五大監獄と呼びます。五大監獄のうちが、現存するのは「奈良監獄」のみですが、。老朽化には勝てず、奈良少年刑務所は平成29年にその役目を終えました。そして、同年、国の重要文化財に指定されました。今後は、ホテルとして活用に転用される予定ですことが決まっています(平成29年12月現在)。
  • 鋼索線 飛行塔
    観光と鉄道
    鉄道の発達は、奈良の産業や観光の発展に、大きく影響しました。明治30年代には、すでに、修学旅行生が鉄道を利用して、奈良へ観光に来ています。
    大正3年(1914年)には、大阪上本町と奈良間(現在の近鉄奈良線)が開通しました。この時、膨大な費用と労力で完成させたのが、近鉄奈良線旧生駒トンネルです。全長は3,388mに及び、当時、標準軌の複線トンネルでは、日本一を誇りました。やがて戦後になると、輸送人員の増加に伴い車両を大型化する必要がでてきましたが、断面積の狭い旧生駒トンネルでは大型車両を通すことはできません。そこで、昭和39年に新たに新生駒トンネルが開通し、旧生駒トンネルは閉鎖されました。今でも、旧生駒トンネル跡は残っており、工事の際に多くの人が犠牲になったことから、心霊スポットにもなっています(※トンネル内に立ち入ることはできません)。
    大正7年には、生駒聖天宝山寺への足として、生駒鋼索鉄道により鳥居前・宝山寺間に鋼索線が開業します。、日本最初のケーブルカーとして、大きな話題となりました。昭和4年には、大阪電気軌道(現近畿日本鉄道)により宝山寺・生駒山頂間も開業し、鳥居前から生駒山上が結ばれました。これが現在の近鉄生駒鋼索線であり、今でも宝山寺で乗り換えが必要なのは、このような経緯によるものです。なお、当時の大阪電気軌道は経営難で、宝山寺から借金をして開業に漕ぎ着けたという話が残っています。また、昭和4年には、生駒山上遊園地も開園し、当時としては珍しかったい飛行塔が、今も動いています。
  • 五新線
    南部の林業開発と鉄道
    奈良県南部の山岳地帯は、全国有数の林業地帯に発展しました。人工林の伐採搬出木材輸送の手段として、大正9年に、五条・新宮間を結ぶ鉄道路線「五新線」の計画が本格化します。、昭和14年に五条側から着工されましたが、戦中の資金難、戦後のバス転換案などもあり、ついに工事は凍結され、未成線となりました。今でも五條市には新町高架橋の遺構が残り、当時の木材事業の繁栄ぶりを想像することができます。鉄道の開通には至りませんでしたが、現在では熊野街道(現在の国道169、168号)等の幹線道路が整備され、トラックによる木材輸送が可能になっています。

奈良県は、古代のイメージが強いですが、近代の遺産も多く残っています。近代遺産を通じて、明治以降の奈良県の歴史を改めて知るきっかけになるのでないでしょうか。是非、現地に足を運んでみてください。

関連リンク

いかすなら内関連リンク