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7 奈良の祭

蛇穴の蛇曳き汁掛け祭り

野口神社を出発する蛇綱
藁で作った蛇綱が集落内の全戸を回る

蛇穴にある野口神社を中心に行われている祭りです。野口神社は水の神(竜神)を起源とすることから、この祭りは五穀豊穣を祈るために始められたといわれています。祭りの主役は藁で作った蛇綱で、全長は14メートルにも及びます。御神体は前年の蛇曳きが終了すると翌年の頭屋(祭りの当番)に引き渡されて頭屋の家で1年間祀られます。そして蛇曳きが行われている間だけ野口神社に納められているのです。祭りの前日には集落の人々の手で蛇頭が作られ、当日の朝には胴体が作られます。野口神社にて汁掛けの儀式を経た後、蛇綱は人々の手によって集落内を引き回されます。集落内には約140軒の家がありますが、その全てをくまなく回り、邪気を払い、病除けを祈願していきます。そして野口神社に戻ってきた蛇綱は蛇塚に巻かれて納められるのです。

蛇綱を作る様子
汁掛けにまつわる伝説

その昔、蛇穴の道を通って葛城山へ修行に通う役行者に、村の娘が恋をしました。しかし、役行者は見向きもせずに修行に邁進したため、その娘は蛇に化けて追いかけました。蛇に驚いた村人は、建水(けんずい。間食のこと)として持っていた味噌汁を掛けて、蛇を追い払い、蛇は井戸に逃げ込みました。その井戸は、現在の野口神社の蛇塚にあたる場所にあったといいます。―― 蛇穴にはこのような伝説があり、汁掛けの由来とされています。かつての汁掛けの儀式では、参拝者などに実際に味噌汁を振り掛けておりましたが、現在では神職により味噌汁の入った大鍋から榊で左右に振りまかれた後、皆さんに振る舞われています。

矢部の綱掛

綱を掛ける瞬間
水不足に悩む集落に伝わる農耕儀礼

矢部はもともと水の入りが悪い土地柄であり、水不足は農家にとって深刻な問題でした。そこで、降雨と豊作を祈願するため、綱掛の行事が生まれたといいます。行事当日は、矢部の人々が綱を持ち、伊勢音頭を囃しながら集落内を練り歩きます。途中で、慶事があった家の人々を綱で巻き、祝意を表します。そして、集落に水が流れ込む場所に設置された2本の綱打木の間に綱を掛けます。綱を持って練り歩く行事は他でも見られますが、綱で巻くというのは珍しく、巻かれた人はそのことを一生覚えているといいます。矢部の人々が誇り思い、大切に受け継いでいる祭りです。

綱を持って練り歩く人々
綱掛のタイムリミットは正午

矢部の綱掛には、重要なルールがあります。それは、正午までに綱掛を終えなければならないということです。理由は分かりませんが、矢部の人々によると「祭りごとは午前中に終える」という暗黙の了解があるといいます。このルールは、今まで確実に守られてきたそうです。こうして掛けられた綱は、次の年の5月4日に取り外されるまで、いつでも見ることができます。

奥田の蓮取り

蓮取りの様子
金峯山寺に納めるための蓮を取る

毎年7月7日に吉野の金峯山寺では蓮華会(れんげえ)が行われます。これは、修験道の本尊である蔵王権現に蓮の花を供える行事ですが、その蓮には奥田の捨篠池(すてしのいけ)の蓮が使われます。その昔、修験道の創始者である役行者が、捨篠池で産湯を使ったという言い伝えによるものです。蓮取りの当日である7月7日には、「蓮取り舟の運行と蓮の採取」「行者の行進」「刀良売(とらめ。役行者の母)墓碑前供養」「弁天神社での護摩法要」「弓射式」など、たくさんの行事が行われます。そして、蓮は大勢の行者と奥田の人々とともに吉野へと向かいます。室町時代に記された『当山年中行事条々』(吉野山竹林院所蔵)には、「蓮華ノ迎ニ下向。往古ハ奥田ニテ延年在之」との記述があり、古くから行われている行事であることが分かります。

『当山年中行事条々』(吉野山竹林院所蔵)
一つ目蛙の伝説

蓮取りが行われる捨篠池の名の由来は、役行者の母・刀良売が池の岸に生えていた篠を投げたという言い伝えによるものです。実は、その投げた篠が池の蛙の片目に突き刺さってしまい、蛙は一つ目になってしまいました。刀良売はそのことを気に病み、やがて亡くなったといいます。その後、役行者は吉野で金峯山寺を創建し、蛙の追善供養をしました。なお、この「一つ目蛙の伝説」の詳細は、捨篠池のほとりにある奥田蓮池公園内の「大和高田の民話伝承碑」に記されています。

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