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11 西国三十三ヵ所 奈良の四寺

西国巡礼とは?

西国三十三所の巡礼は長谷寺の徳道上人が養老2年(718)に始めたと伝わっています。
2018年は西国三十三霊場が開かれてちょうど1300年の年でした。この西国巡礼は日本最古の巡礼で、奈良、京都、兵庫、和歌山、岐阜など2府5県に点在する33の寺院、「札所」にお参りし観音様を供養するものです。
巡礼札所が三十三所であるのは、いずれも観世音菩薩をご本尊とする寺院であり、観世音菩薩は現世の衆生を救うために33の姿に変化される仏様であることに由来します。
当初の巡礼は、僧侶や修験者たちの厳しい修行でした。最古の記録は平安末期の『寺門高僧記』に園城寺の行尊と覚忠が行った巡礼だといわれています。それが鎌倉時代以降、仏教の普及とともに次第に民衆にも広まり、江戸時代には伊勢神宮参拝や熊野三山参拝などとともに商人や農民の間でも人気を集めました。観音様の前で「南無大慈大悲観世音菩薩、種々重罪、五逆消滅、自他平等、即身成仏」と唱えると願いが叶うといわれています。
三十三所すべて巡り終わると満願となり、宝印が揃った御朱印帳があれば極楽に導かれると古くから信じられています。

奈良県には以下の第六番から第九番までの4カ寺があります。

◆第六番札所 壺阪山 南法華寺(壺阪寺)
◆第七番札所 東光山 岡寺(龍蓋寺)
◆第八番札所 豊山 長谷寺
◆第九番札所 興福寺 南円堂

それでは、順に4カ寺をご紹介します。

第六番札所 壺阪山 南法華寺(壺阪寺)  ・高取町壷阪

本堂・八角円堂の十一面千手千眼観世音菩薩を本尊とする、かつては三十六堂六十余坊を数えた真言宗の大古刹です。『南法華寺古老伝』によると元興寺の高層・弁基上人が霊山である壷阪山に魅せられ修行していると、水晶の壺中に観音様を感得し、自ら壺坂観世音を刻んで本尊としたのが始まりと伝えられています。広大な山の斜面に沿うように並ぶ伽藍が特徴的な寺院です。
また歌舞伎や文楽の「壺坂霊験記」でもおなじみで、霊験記に登場するお里・沢市が使用した「沢市の杖」に触れると夫婦仲がよくなるとも言われています。眼病封じの寺としても有名で、ご本尊の大きく見開いた両目はエキゾチックな雰囲気とともに、眼病に立ち向かうという強い意志を感じます。
また天竺(インド)から招来した高さ20mの大釈迦如来石像(壷阪大仏)や佛伝図レリーフ「釈迦一代記」など、デカン高原から招来した花崗岩使用の大石像が見る者を圧倒します。  

岩をたて、水をたたえて壷阪の庭のいさごも浄土なるらん

第七番札所 東光山 岡寺(龍蓋寺) ・明日香村岡

通称岡寺、正式には真珠院龍蓋寺といいます。およそ1300年前、当時日本仏教界の最高位についていた義淵僧正が天智天皇の邸宅だった岡宮の旧跡を譲り受けて建立したのが始まりです。
義淵僧正が当時この村を荒らして農民を苦しめていた悪龍を仏法の力で池に封じ込め、大きな石で蓋をしたことから龍蓋寺の名がつけられました。
日本最初の厄除け霊場として広く知られ、鎌倉時代の歴史物語「水鏡」の冒頭にも記されています。また白鳳から奈良時代にかけては学問寺として多くの僧を輩出しました。
ご本尊の如意輪観世音菩薩は、義淵僧正の弟子筋にあたる弘法大師・空海が、インド・中国・日本という仏教伝来のルート三か国の土を用いて作ったといわれている身の丈4.6mにもなる日本最大の塑像で、日本三大仏の一つに数えられています。そのお顔立ちや光背に描かれた飛天は大陸風の雰囲気を漂わせています。
奥ノ院には空海ゆかりと言われる「瑠璃井の水」があり、厄除けの水として多くの方々がお参りの際に水を汲んでいます。また花の寺としても有名で、春にはシャクナゲが咲き誇り、華やかな雰囲気に包まれます。

けさ見ればつゆ岡寺の庭の苔さながら瑠璃の光なりけり

第八番札所 豊山 長谷寺 ・桜井市初瀬

平安時代から初瀬詣でにぎわう、女性に人気の高い花の御寺で、特に春は登廊の周囲に150種7千株の大輪のぼたんが咲き誇り、広大な山腹に国宝の本堂や回廊形式の伽藍が並ぶ様が壮観な寺院です。全国に3000以上の末寺をもつ真言宗豊山派の総本山でもあります。道明上人が天武天皇の病気平癒を祈願し、「銅版法華説相図」(千仏多宝仏塔)を安置したのが始まりです。後陽成天皇の筆による扁額のある仁王門をくぐるとトンネルのような108間399段の登廊が続きます。登廊の入口両側に「諸佛経行所」「諸天神祇在」とあり、それぞれ「多くの佛様が修行する場所」「多くの神様がここにいらっしゃる」という意味で、観音菩薩の聖地であるだけでなく、神仏習合の寺院として多くの貴族が訪れたようです。
本堂は慶安3年(1650)に徳川家光が寄進した“九間四面入母屋造り本瓦葺き”の巨大な舞台造りです。ご本尊は楠の霊木で作られたといわれる身の丈10m18㎝の十一面観世音菩薩立像で日本最大の木造彫刻で、春と秋に特別拝観が行われています。古くから長谷型観音と呼ばれ、左手には蓮華の花を挿した水瓶を、右手には地蔵菩薩と同じ錫杖と数珠を持っておられます。これは観音様が自ら人間界に降りてきて、衆生を救おうとする大きな慈悲の心の表れを示しています。ご本尊の御足に直に触れて願い事をして右側からぐるりと本堂の中をお参りすると祈りが成就するといわれています。広大な境内は見どころも多く、源氏物語に登場する玉鬘と右近が再会する「二本(ふたもと)の杉」や小倉百人一首の選者、藤原定家の塚などがあります。
外舞台に立つと木立の中に建つ堂宇や季節毎に咲き乱れる花々が一望できます。

いくたびも参る心ははつせ寺山もちかいも深き谷川

第九番札所 興福寺 南円堂 ・奈良市登大路

南円堂のある興福寺は、藤原不比等の二男房前を始祖とする藤原氏四家の中でも隆盛を誇った「北家」ゆかりの寺院で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇っていました。
南円堂は弘仁4年(813)、藤原冬嗣が父内麻呂追善のために建立し、鎮壇には弘法大師・空海が関わったと伝えられています。特徴の一つが国内最大の八角円堂の屋根の形で、直径15mの一重本瓦葺でその頂上には宝珠が施されています。築造時には地神を鎮めるため、基壇に和同開珎や隆平永宝などを撒き、白銀の小観世音像約1000体を埋めたと伝えられます。
ご本尊の不空絹索観音菩薩坐像は変化観音の一つで、手に持つ絹索で人々の願いを空しいものにしないという誓願を持っており、運慶の父である康慶とその弟子たちが15か月を費やして造像しました。堂内には四方を守る四天王立像と法相宗の興隆に貢献のあった学僧の肖像彫刻である法相六祖坐像がずらり並んでいます。
(南円堂は毎年10月17日のみ開扉します)

春の日は南円堂にかがやきて三笠の山に晴るるうす雲