奈良県の世界遺産
奈良県には建造物や遺跡など多くの文化遺産が残されており、県内ではこれまでに3件の世界遺産が登録されています。そして現在、4件目の世界遺産登録を目指しています。
世界遺産の制度とは?
1972年、世界の貴重な文化遺産や自然遺産を保護し、将来へ伝えていくために世界遺産条約が定められました。 「世界遺産」とは、ユネスコの世界遺産条約に基づいて「世界遺産リスト」に記載されている、人類の歴史が生み出した文化遺産、地球の生成や動植物の進化を示す自然遺産などの資産のことです。国家や民族、宗教などの枠組みを超え、人類全体で過去から受け継いできたものを破壊や損傷から保護・保全し、未来に引き継ぐことが目的です。 日本では現在、文化遺産が20件、自然遺産が5件登録されています。
世界遺産に登録されるには
「世界遺産リスト」に記載されるためには、人類全体にとって現代だけでなく未来の世代にとっても共感・共有できる傑出した価値(顕著な普遍的価値)があることをはじめ、それを証明する要素や範囲が過不足なく揃っていること(完全性)、資産の文化的価値が真実かつ信用に値するものであること(真実性)、そして資産を守り伝えるための法令や体制が整っていること(保存管理計画)など、さまざまな条件があり、これらを満たしていることがユネスコの世界遺産委員会で認められなければなりません。
飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群を世界遺産に!
「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」(以下「飛鳥・藤原」)は2007年に「世界遺産暫定リスト」に記載され、県内で4件目の世界文化遺産として2026年の登録を目指しています。 「飛鳥・藤原」は6世紀末から8世紀初頭にかけて、中国・朝鮮半島との交流により取り入れられた最新の建築・土木技術や律令(法律)などの知識に基づいて、中央集権体制を採用した国づくりが行われたことを示しています。また、「飛鳥・藤原」の宮殿・官衙(かんが)(役所)跡、墳墓、仏教寺院跡など、22の遺跡の変遷によって、古代宮都の形成を示すことができる東アジア唯一の証拠です。 これらの遺跡のうち、古代日本の中心地におかれた飛鳥宮跡と藤原宮跡の2つの宮殿遺跡が中核となる構成資産です。藤原宮跡で採用された宮殿構造や計画的な都市設計は、その後の平城京、平安京にも大きな影響を与えました。
「飛鳥・藤原」以前の宮殿は天皇の代替わりごとに場所を変えていましたが、飛鳥宮に遷(うつ)ってからは同じ場所に宮殿が定着するようになりました。発掘された建物の配置などから、天皇の住まいと政治・儀式を行う場が一体となった宮殿ということがわかります。 飛鳥宮跡周辺には宮殿に付属する庭園跡である飛鳥京跡苑池や、日本で初めて造られた水時計台が設置された飛鳥水落遺跡などがあります。 いずれも中央集権体制の確立に向けて積極的に外来の技術を取り入れつつ、従来の文化との融合を図ったことが示されています。
大和三山に護(まも)られるように囲まれた藤原宮跡は、古代中国の都市計画を模範とした碁盤目状に区画された都城の中央に位置しており、大極殿を中心に官衙が立ち並ぶ、中央集権体制の確立を表す遺跡です。 飛鳥の宮都では官衙が宮殿外に分散していましたが、藤原の地に都を遷す際に宮殿内に集約されました。
有力者の墳墓は、「飛鳥・藤原」以前の前方後円墳から方墳へと形状が変化し、さらに中央集権体制の整備にともない天皇の権威を示す八角墳が創り出されました。 皇族や貴族の墳墓では、石室内に描かれた四神や十二支像の壁画で有名なキトラ古墳や、女子群像や星宿(せいしゅく)図の壁画で知られる高松塚古墳などの円墳が見られます。やがて火葬の導入が進み、墳墓は終焉(しゅうえん)を迎えます。
日本初の本格的な伽藍を備えた寺院である飛鳥寺は、仏教の伝来とともに国づくりの基礎となる最新の建築・土木技術や知識を取り入れたことを示しています。その後も、有力氏族による寺院造営が推し進められ、山田寺、橘寺、檜隈寺などの氏寺が建てられました。 飛鳥から藤原へと宮殿が遷る頃には、国家鎮護のために藤原京の都市設計に組み込まれた大官大寺や本薬師寺などの国家寺院が建てられました。
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